第70回 人の顔見て歩け 2000/05/06
Uターン経験者なら誰でもぶつかる第一関門、「あの人だれだっけ?」
面影はあっても、なにしろ20数年ぶりである。セーラー服の乙女が中学生の母である。私のほうはあんまり変わってないのか、たいてい先に声かけられ、しまったと悔やむ。
思えば都市生活の最大の魅力は匿名性であった。自宅のすぐ前の通り以外は、どこを歩いても知った人に出会わない。駅のホームでも、電車の中でも、ご近所や職場の人と顔を会わせることがほぼ皆無である。確率がそれだけ低いとなれば、先に挨拶するために周囲に気を配るなんて取越苦労は不要だから、一切人の顔を見なくなる。(かわいいおねーちゃんを鑑賞するのは別)
人間がぜんぶジャガイモに見える「群衆」イメージは、ついこないだまで私の社会環境の実体だった。はっきり言って20年も慣れれば、そのほうが楽に決まってる。
それでも、たまに女房の代理で子供会や参観日に出たりすると、同級生のかあちゃんの顔を幾人か覚える(というより覚えられる)ので、最寄りのスーパーで買い物するときに、気をつけないといけなくなった。おやじらについては、学校行事に出てくる男親なんて1クラス1人か2人だから、近所で出会う確率はまたゼロに近い。
同級生、子供の同級生の親、親戚一族。これら相異なる人間関係のうち、都市生活では2番目だけしかなかったわけだ。
久しぶりに戻った故郷には全部の人間関係がある。
ただいま「父子家庭」ゆえ、否応なくPTAに出たりすると、元同級生や元同級生の奥さんやらが、たいていどこのクラスにもいるのだ。名簿には当然ながら(旧姓)なんて書いてないので、ハラハラしどおしである。たぶんあの人はあの人だよな。早々にこっそりと確認しとかないと、声かけづらい。「気がつきませんでした」で、済むんだろうけど。小心者だから気を遣ってしまう。
田舎の町では誰でも日常生活圏が重さなっているから、お買い物でも、レジャーでも目的地は一緒、交通手段も一緒。マイカーのみ。近づいてくる車のフロントガラス越しに運転者が知り合いかどうか瞬時に見抜いて、すれ違いざまに目礼を送るのが礼儀なのである。(2000/05/06)
第71回 農耕車優先 2000/05/15
山の職場まで50kmの通勤ルートの半分は、農道を使っている。ただし「○○地域広域農道」というやつである。
一般の県道よりも高規格で、このへんの最大幹線 国道9号線なみの道幅に、センターラインとガードレールが完備されている。そのうえ、横断歩道も信号機もない、対向車もほとんど来ないからストレスがない。となりゃ、まるで田舎の高速道路。如何に交通量が少ないかは、道で死んでるタヌキをほとんど見かけないことでも判然としている。(国道・県道には毎朝ころがっている)
このように、広域農道は、田舎の通勤幹線であり、ときおり大型トラックや宅配の抜け道として土地勘のある運転手に好まれている。
新緑の季節には、地元の人々が山菜摘みのレジャーにも訪れるドライブコースでもある。サイクリングにも好適のはず(全然見ないが・・)。
そもそも最近続々と建設された農林水産省管轄の「農道(林道)」はどんなドライブ地図にも掲載されていない「公然の秘境」なのである。(建設省と管轄が違うので国土地理院に情報が行かない?)
農道建設の名目として、ところどころに掲げてある「農耕車優先」という看板が虚しい。苗を積んだ軽トラにも田植機にも全然出会わない。
平地の農道はいざ知らず、中山間地を縫う農道の両サイドには田畑がないのだ。元田んぼだった谷を埋めて、道路を建設したんだから、しかたない。現役使用中の田んぼは、自宅のそばで、旧来の県道沿いにつながっているから、新しい農道で遠回りしなくてもいいのだ。大型の県外車や通勤用車両が、バイパス(=広域農道)を通るようになったおかげで、旧来の県道の交通量はぐっと減って、軽トラがのんびり荷下ろしできるから、こちらこそが農道の面目躍如といった観がある。
何をやってんだかわからないが、まんざら無駄なものでもないのかもしれない。
このネタ、実は3年前の文章の焼き直し・「広域廃道と無目的ダム」
http://www.iwami.or.jp/awanami/samples/furusatoron.htm#haidou
(2000/05/15)
第72回 満喫している 2000/05/25
ちょうど山は、命みなぎる新緑の季節である。行き帰りの道で、ハンドルかかえながら、前方遠くの山の色に眺めいることもしばしばである。ちょっと危ないけど、道はいつでもすいてるので、まあいいじゃないか。
田舎に戻ってわずか三ヶ月の間に、山を彩る花の色はめまぐるしく変わっていった。ツバキ、ヤマザクラ、ミツバツツジ、ヤマブキ、フジ、ウノハナ。日々、目を楽しませてくれる。こういう風景は飽きるんだろうか? 地元の老人たちも、年々歳々相変わらぬ花を楽しんでるおられるようだ。
数ヶ月前には、毎日デスクでパソコンのキーボード叩いて、高層オフィスの窓から遠くの山を眺めていた。当分は思い出すこともないだろう。昨日の自分が、とても遠い。
今週の作業は除伐。15年生の檜の植林地に生えた雑木を伐採する。ヘルメットに地下足袋姿で、ひたすらチェーンソーを振り回しながら斜面をはいずり登る。半人前だが、やっと機械モノを扱わせてもらえるようになった。
指はつるは、マメができるわ、飛び散る木っ端で生キズは絶えないけど、実に面白い。自分で選んで飛び込んだ世界だから言うんじゃないが、ナチュラルハイになれる職場の代表選手が山仕事であろう。
帰り道のルート上に温泉はいくつもある。山の温泉、海の温泉、露天風呂、公共浴場。通勤の軽ワゴン車にはフルセットの着替えが何組も常備しているので、余裕があれば、汗を流して、風呂上がりのビールもまた旨い。
今週は、毎晩かなりお疲れの様子なので、このようなレポートでお茶を濁しておくけれど、当ホームページ連載(=メルマガ)「40歳の定年帰農」も、あと数回でお終いである。だって、6月の誕生日がくれば40歳だもん。
最終回のオチや、今後の予定は、ぼちぼち考えてるところです。さて、読者諸兄姉におかれましては、ご感想は今のうちなので、どうぞよろしく。(2000/05/25)
第73回 雨やすみ 2000/05/31
雨休みである。
屋根のない職場だから、お天気次第。現場に集合したが、中止の判断となった。
ラッキー! 戻りがけに、一人で温泉に寄って朝風呂あびてから、帰って「また寝」である。日給月給のくせに、他愛なく喜んでしまう。
晴耕雨読というが、これは、一通り基礎体力が備わってからの話であろう。
こちらは雨だれの音を聞きながら、読みかけの本をまくらに添えて、いくらでも寝てしまえる。子供らは学校だし、いまのうち。
ところで、雨でも、雨上がりでも、山がまた匂い立つのである。「あゝいい匂いがする」と、朝に夕に、何度も深呼吸している。
このネタで1本書いてみようとも思ったが、香りを文字で表現するって、私ごときにはまず無理ですね。たとえば、夕方に農家が枯れ草を焼いてる煙の匂いにジンときますか? 知ってる人だけ勝手にやっとくれ、ってなもんでしょう。
新緑の中に小さな白い花が混じる、いわゆる森林浴風の微妙な香りとなると、まして無理。・・なのに書いてみて、自慢してる。いけませんね、人をうらやましがらせちゃ。
(2000/05/31)
最終回 第74回 三日三月三年(みっかみつきさんねん)
山の仕事の修業もようやく3ヶ月目に入った。
「三日三月三年」と言って(文字で書いてみて新鮮に見えたので、ふつう口頭表現に限るようだが・・)、何事も三日我慢すれば三月もち、三月辛抱すれば三年耐えられるという、修業に際しての精神論として語られることが多い。決意するのは簡単だが、持続しないと意味がないという原則が背景にあるのだろう。
私の「帰農」という思いつきはダテじゃない。それこそ、泡波書店創立以来、3年以上におよぶ読書と作文とイメージトレーニングの繰り返しで、詰めに詰めた路線だから、計画通り運んでくれなくては困るのである。が、やっぱり、俗説?の「三日三月三年」は節目になるようだ。三月耐えられたら、今度は三年くらい見届けたいという気になる。
で、「三年」から先はどうなのか、は語られていない。そのまんま三〇年いくというわけでもあるまい。どんな大層な「道」を修業しても、三〇年経てば業態自体が変わってしまう。むしろ、三年たったら、その後の身の振り方は自分で考えなさい、ということかもしれない。その道で一人前になれたかどうかはともかく、出処進退を慮る資格はあるという意味か。
これまで、サラリーマンとして職場を2つ変わり、私生活でも様々なグループや友人関係に身を置いて来たが、3年同じ世界を見ていたら、もう十分という気がするものだ。だんだん居心地は良くなるけど、オレってこれで良かったの?と、自然と何か新しい展開のほうに惹かれていってしまう。そういうこと、よくあるでしょう。それぞれの一区切りをライフステージというのだったか・・
・本を読んで文章を綴り、歴史や世界がわかった気がした30代前半
・情報発信と脱サラ準備の30代後半
・今後10年は、技術習得・修業の時期、自営創業・展開の時期、という目論見。
だから、当分、本も読めないだろうし、ホームページの更新もペースダウンするだろう。ライフステージが変わったんだから、重心の置き方も変わるのである。
最期に、季節遅れの詩を引用する。今年の3月、退職・転居の挨拶状に載せようかと逡巡したあげく、結局、こっぱずかしくて、ヤメにしたものである。三月(みつき)たった今、やっと引用する覚悟ができた。キーボードを叩き、ボールペン握るだけだった柔らかい指が、山の仕事のおかげで、日に日に太っていく実感がある。
春
陽が照って鳥が啼き
あちこちの楢の林も
けむるとき
ぎちぎちと鳴る汚い掌を
おれはこれからもつことになる
宮沢賢治『春と修羅・第三集』より
では、みなさま、ご愛読ありがとうございました。
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このタイトルはこれで最終回といたします。
メルマガ3誌に登録したものも、それぞれ終刊といたします。
次のタイトルは思いついているのですが、もうちょっと練ろうとしてますのでお待ち下さい。
その前に、ホームページのデザインを変えないといけませんね・・いまだに「脱サラ願望」のまんまになってる。
先回および先々回のアナウンスに応じて、続編をご希望していただきました10余名の皆様。誠にありがとうございました。
お手数をかけますが、「40歳の定年帰農」のタイトルでは、幾分そぐわなくなったように思いますので、読者一新?の意味でメルマガ更新させていただきます。
メルマガ続編を希望される方が他にもおられましたら、泡波書店店主にメール下さい。新規メルマガに登録できましたらご案内差し上げます。たぶん、この1ヶ月以内には、できると思います。
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