「木霊の国から」 バックナンバー 131-135

 ソバ

第131回 同じことを何遍も言うな 2002/10/04

 年寄りの繰り言というのは、一度の立ち話でも同じ話題を三べんくらい蒸し返す。
 私は年寄りの昔話を聞くのが好きなほうだが、実際に何度も同じ話をする人にはやっぱり辟易する。その話ならさっきしたじゃないの!と言いたいが、本人があえて念を押すために繰り返しているのか、いま話したことをもう忘れているのか、そのへんも確かめようがない。

 唄や詩歌、浪曲や落語のような”話芸”ならいざしらず、普通のおしゃべりは用件や意図が伝わればよいのだから、一度きけば十分なのである。それをあえて繰り返すのは、聞く側の理解力をナメてかかっているとしか思えない。
 学校の授業でも、同じことを何度もしゃべる教師は飽きられる。寝ぼけた生徒の相手をするなら、こちらが先に居眠りだ。もちろん私も、一度きいただけで理解できないことは多いが、それで困ったらこちらから頭を下げて尋ねます。お願いだから、無意味に繰り返すようなことはしないでね。聞き手の感情を無視して勝手に話をリピートする人は、その歳でもうボケたかと心配になる。
 繰り返すのは相手をバカにしている証拠だと思うから、私自身、同じテーマを同じ人には話さないよう普段から慎重に心がけている。記憶があいまいで危険性があれば、今言えばウケそうだと思うネタでもしまっておくしかない。神経質なくらいだ。
 いい気になって自分が会話をリードして、「繰り言」のドジをふむよりも、黙って人の話を聞いてる(耳学問の)ほうがましである。相手の話が繰り言でも自分が我慢してりゃすむ。

 こうして毎週考えたことを文章で綴り、延々とホームページに蓄積しておくというのは、冷や汗ものである。前に書いたもののほうが、デキがいいという場合はいっぱいあるから、同じテーマに近づくと緊張する。少なくとも前に何を考えていたか、自分で確かめられるのが文章を残すことのメリットなのであろう。
 もう一つ冷や汗なのが、酒の席である。つい、喋りたい本性が出て、繰り言をやってしまう。普通に誰でも呑めばそうなるからお互い様だが、できればこの醜態は避けたいと思っても、いかんせん記憶力が衰えてきた。40過ぎて酒量は衰えずとも、脳がアルコールに弱くなった証拠。とほほ。家族にはバレバレだ。(2002/10/04)

 シイ・カシほか

第132回 フール・オン・ザ・ヒル 2002/10/11

 君子危うきに近寄らず。たとえば高所恐怖症の人は、概ね慎重派だから、事故に遭遇する確率も低いはずである。
 位置エネルギーは落下によって失われ、さらに粉砕崩壊し摩擦熱として消え、エントロピーが増大する。これこそ世の秩序である。もしも落ちたら自分がどのようなグロテスクな肉と血の固まりになってしまうか、先々の展開をリアルに想像できるから、危険性の芽を早いうちにつむことができる。そのような人でなければ、人の上に立って会社を経営できない。社員や家族を路頭に迷わせないのが使命。安全第一、万全の備えである。

 それに対して、馬鹿と煙は高いところが好きである。英語で言うと Fool On The Hill (ほんまかいな?)。登山、木のぼり、屋根の上、展望台、ビルの屋上、飛行機・・そんなところが大好きである。
 高いところから下の景色を見るのが楽しいのである。俯瞰目線で拡がる下界の世界は、平地の目線で見る世界とは違う。人や車が米粒のように見え、圧倒的に大きく深い山が重なっている、都市ならば、コンクリートの建造物(ビル、道路など)が覆い尽くしている。人間のちっぽけさを(自分自身をふくめて)笑い飛ばすには、鳥にでもならないかぎりは、汗かいて高いところに登るのがいい。

 下刈でも間伐でも、たいてい山の仕事は、上の段を先にやると下にかぶさって手に負えなくなるから、麓から順に上へと片づけていって、一番上まで来たらおしまいになる。
 何日もかけた現場の最終日は、仕事を3時半くらいに終えられるのがベストである。切り株に腰掛けて、のんびりと無駄話しをする。高く険しい山ほど、仕事が終わったときの安堵感に浸れるのだ。いいい天気なら下りるのがもったいないくらい、すっきりと視界が開けているのである、手入れしたての山は。来年になれば草木が茂ってもとのもくあみだが、そんなことは馬鹿だから誰も気にしていない。(2002/10/11)

 ダイオウマツ

第133回 年にいちど 2002/10/19

 ”年にいちどだから”といいながら、われわれは多くの日々を遊びに費やしている。
 先週は町民運動会、今週は大田祭りである。準備から片づけまで付き合うと、まる一日がかりになる。昼間から酒を呑みながらやっているから、その晩は仕事にならない。日頃は焼酎党なのに、季節がらの日本酒をぜんぜん遠慮せずにあけているから、こたえる。
 秋は行事が目白押しである。ほかにも敬老会とか防災訓練とか、私はまだ参加していないが、地域密着しているうち必ずお鉢がまわってくるであろう。何にせよ慰労会等の名目で酒の伴わない行事はない。

 年に一度のお祭りは、何年も前から日にちが決まっている。学制制定以来?の町民運動会は10月の第一日曜。もっと古い神社の例大祭は、七曜制にも関わりなく10月15日と決まっている。宮司さんはともかく、氏子総代や行列の参加者は平日に会社を休まないと出ていけない。おのずと農業や自営業や隠居の人が主体になる。子供御輿は小学校の下校時刻を待ってスタートする。
 盛時には60本も並んだという幟行列は、スポンサーが減ったためわずか9本になってしまった。それでも、伝統の日にちを守って、神様との約束を果たすのである。沿道の家並に平日の昼間にいるような人しか見守っていない静かな行列である。見物人より参加者(スタッフ)の比率が高いとうのは、やってる本人が楽しむための祭、と理解するのが順当であろう。
 ”年にいちどだから”と集まるきっかけを作って、なんらかしら一汗かいて、直会で酒を呑む。昔からそうしていたのだろう。昼酒は格別に美味しいのだ。
 仕事を忘れて日がな一日お遊びモードに徹するのが、それぞれ年にいちどったって、わずか365日ごとに何種類ものことをたえず繰り返しているわけだ。性懲りもなく。 (2002/10/19)

 アカメガシワ

第134回 半林半漁 2002/10/23 

 短い人生やりたいことは全部しておこう、ということで、山仕事に飽きたら漁師になろうと密かに思っていた。ところが、林業にまだまだ飽きが来ないうちに、漁業も手伝うハメになった。山の会社の社長は江川すじの川漁師でもある。

 秋は川漁のシーズン。アユに続いて、ツガニ(モクズガニ)、スズキも入ってくる。今年は、構造改革のあおり?で、山仕事の契約は育林作業も林道伐開も減少している。中小企業経営者としては仕事が減って困るはずなのだが、こちらはプロの川漁師でもあるので、社員の仕事の差配よりも、獲物の動きに目が離せないようす。
 江川漁協の免許があればどんな漁法でもできる。アユは刺し網(巻き網)で、一度に百匹以上獲れる。ツガニの籠も、スズキの刺し網(切り網)も。これだけ本格的にやっているのは江川すじの各町に何人もいない。
 獲物は江川漁協(スズキなら浜田漁港)が買ってくれるので、シーズンには山仕事よりもこっちを本業にして、朝から社員総出でやったほうが売り上げが良かろうもんだが、そこまではしない。我々は体験程度のお手伝い。看板は林業会社なので、社員はできるだけ山に行かせて、社長が一人で獲ってきた川のお土産を帰りがけに分てくれる程度。限られた川の漁獲資源に乱獲は禁物ということか。ただでさえ釣り人の百倍のことをやっているのだから、この程度で満足しなければ。

 川漁には魚群探知機みたいなハイテク機器はない。アユの群れが上流からピョンピョン水面を跳ねながら下ってくるのに目をこらして、川岸の木舟で静かに待っていて、おもむろに櫓で漕ぎ出しては、網を投げ落としていく。二人きりの作業。見える範囲に競合する舟はないから、のんびりしたものである。うまくいくと一網で百匹以上(30kg以上)入る。これを一匹一匹網から外して、また網を畳み直すのに小1時間、浅瀬で中腰の作業が続く。
 いつでも気が向いたときに一服できる山仕事とちがって、動物相手の仕事はやり始めたら休めない。網にからんだアユをつかむとキュゥと鳴く。早く外さないといたんでしまう。
 アユの場合は、いくら手がヌルヌルになっても耐えられる、さすがは”香魚”。ところが、海から上ってくるでっかいスズキは、もろにサカナ臭くて参る。血抜きしたてのスズキをたくさん積んだあとの社長の軽ワゴン車に乗ると、むせかえるほどの魚屋の臭さ。魚を食うのは好きだけど、この臭いに耐えられないと”漁師やります”とは言えんよな。(2002/10/23)

 カラスウリ

第135回 本を読まなくなったことの言い訳 2002/11/02

 田舎の暮らしを始めてから、読書量が激減した。ほかにいくらでも楽しみがあるからいいようなものだが、いちおう原因を追究しておかなければならない。

 まずは、読みたい本に出合う機会が減ったこと。こないだまでは、都市の駅前大型書店の人混みをかきわけて、持ち時間10分とか30分とか1時間とか(それ以上はいらないが)で、きっと読むべき本を見つけてくるというのが楽しみだった。
 本を買うだけならインターネット通販が一番安上がりだけれど、入り口でテーマを絞るからよそ見をできない。それにパソコンの画面では本の重さ(質感)がわからないのが淋しい。

 寝床で本を読む姿勢に耐えられなくなった。枕を胸にあてて、うつぶせで肘をついて、疲れたら回転しながら、何時間でも読んでいたのに。今でも個室とベッドの条件は同じだが、すぐに疲れてしまう。早朝からの山仕事のせいで肩がこっているのか。酒に酔って早々と寝てしまう。

 酔って寝てしまうといえば、サラリーマン時代には通勤電車という程良いクーリング・タイムがあった。ちょっと残業して、ぱっと呑んで、小一時間電車でうつらつらしてから、夜風に吹かれて歩いて帰れば、いっぺん冷める。そこから、飲み直しても長持ちするわけだ。いいちこのグラスを枕元に置いて、夜更けまで読むことができた。こちらでは、自家用車で戻ってすぐに飲み始めたまんまの延長で区切りがないから、ついに寝てしまわざるを得ない。

 それでも、泡波書店ごひいきの皆様の推薦図書くらいはチェックしていきたい所存なので、泡波店主が好むと推測される図書を見つけた方は、一冊読んだみたいで儲けた気になれる概要をお寄せくだされば喜びます。(2002/11/02)

つぎ 

back