08.01.29

ぷろじぇくと・アイ ミュージカル
あ か と ん ぼ
‥‥すべてを終えて‥‥
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 7ヶ月半の長丁場となった、ミュージカル「あかとんぼ」がようやくフィナーレを迎えました。
 言い出しっぺとしてのいろいろな思いをダラダラと書いてみたいなぁ〜とか思って作ったページです。
 いちおう人の目を引くように、「ポロポロ崩れる思い出のフォト(歌詞どおりだと「ネガ」だけど)」を貼り付けてみました。
 書く方がダラダラなので、読む方もダラダラ読んでみてください(^o^;)
(どういう導入部なんだこれは‥‥)



8.
 今回も「ソング・フォー・ユー」に劣らず、バラエティに富んだ曲を廣兼先生に提供していただいた。
 で、それで済まなかったのが「あかとんぼ」。
 本番では軽妙にして重厚な「THEガッキーズ」サウンドが展開されたが、初めて生オケでやったのでいろいろ大変だった。
 メンバーの皆さんはジャズ、ブルース、ロック系の人が多かったように思う。
 前半の曲は最初のバンド合わせからバシッと はまってたんだけど、後半のクラシック系、バラード系の曲は苦労されたんじゃないかしら?
 そんな風に思ってただけに本番前の週、スタジオ2で作り上げた音には、本当に感激した。

 「わたしにできること」のアコギ。
 「あかねの空に」でガーンと歌い上げた後の、おばあちゃんが語りかけるナンバーにしっとりと馴染んでいた。
 本番を思い出すと泣けそうだなぁ(ToT)

 「きのうきょうあした」ラストのティンパニ。
 常套手段なんだけど、やっぱこれがあって初めて終われる感じになるね。

 とはいえ、こういう部分部分を上げて「良かった」とか言うのはかえって失礼かも。
 練習を重ねて全体のレベルが底上げされていたからこそ、最後のアコギやティンパニというスパイスが生きたのだと思う。(08.02.02)


7.
 6.の続きの話になるんだけど(長げーなオイ(^o^;)
 そんなわけでミュージカル「あかとんぼ」の世界で、軍隊といったら海軍ということになっている。

 ただ、大谷さんが作った「赤とんぼ」の模型は、陸軍の「赤とんぼ」のプラモデルを参考にしているのだった。
 なんでそうなったかと言うと・・・
 島ちゃんに模型を探してもらったところ、海軍・陸軍ともに入手可能なことがわかった。
 ただ、陸軍モデルの方がスケール(縮尺)が大きく、そっちを参考にした方が作りやすいと思ったのだ。
(正直、そんなにちがうとも思えなかったし)

 ちょっとどうかなと思ったのは、山陰中央新報の記事でその形式名が出ちゃったことだった。
 だから詳しい人、特別の思い入れのある人がその記事を見て、その上で本番を見たら、
「テキトーな知識で作りやがって」なんて思われそうだ。

 自分も嫌いな分野ではないだけに、今後はもっと注意しようと思う。
 そういう小さなこだわりも「忘れず、伝えていく」こともミュージカル「あかとんぼ」の使命かも知れない。
(08.01.31)


6.
 5.の続きの話になるんだけど。
 知ってるんだったら設定を変えて、陸軍にすれば良かったのでは?という意見もあると思う。
 そうしなかったのは、以下のような理由から。

●「赤とんぼ」は陸海軍ともにあるらしい。
 ただ、海軍のは実際に攻撃に参加し、陸軍のは参加できなかったという説が有力なこと。
●自分が、どっちかというと海軍が好きなこと(^^ゞ
●陸軍の軍服を再現しようと思ったら、カーキ色の詰め襟が必要になること。
 海軍なら学生服でできるし、自分が使ったのは黒のビジネススーツを改造したものだ。

 いろいろ大変なんす‥‥(^_^;)
(08.01.31)


5.
 やっぱり言う人が出たか、と思ったんだけど‥‥。

 初日のアンケートの中で、
「海軍では敬礼の時、肘を張らないはず」という指摘があった。
 ご指摘のとおり、「あかとんぼ」の劇中に出てくる軍人はすべて陸軍ではなく海軍の軍人である。
(セリフにはないけど、わかる人にはわかる。)
 そして全員、肘を張りだした立派なスタイルで敬礼している。
 それはおかしい、という指摘である。
 まあ歴史考証なんかは充分にできてるとは言い難いし、再演の可能性を考えれば、いろんな意見を参考にしていかなくてはいけないと思う。

 ただ、海軍式の敬礼については、
「知ってるけど、わざとそうした」
‥‥ということをここで表明しておきたい。

 「肘を張らない」のは、軍艦内の通路などせまい場所ですれ違うことが多いためだという。
 でも舞台の上で、限られた人数での演技。
 何をやってるか、お客さんにしっかり見えなかったら元も子もない。
 2日目の朝、アンケートを読んだ何人かが、
「どうします?」って聞いてきた。
 やっぱ指摘されると気になるんだなと思ったけど、
「あ、だいじょうぶ。そのままやって」と伝えた。
 それで良かった、はず。
(08.01.31)


4.
 まだ終演でもないのに、キャストがビービー泣いてるのが珍しかった。
(オッキーも言ってたけど)
 エピローグ前、早や替えのために楽屋前に戻ってきたモンペの子達が、号泣してしまいそうなのを必死でこらえながら(殆どこらえきれてなかったが)脱ぎ着していた。
 これはよくある「終演に感極まって」というのとは違うような気がする。
 どう違うかというと、各人の「役作りのタマモノ」ではないかと。
 スタッフの予想さえ上回って、「あかねの空に」の合唱シーンはマックスの盛り上がりになった。
 本番2週前、ミヤコさんが気持ち作りのために丁寧に指導してたのを思い出す。
 (実際、練習から泣いてるキャストがチラホラいた。)
 だからあれは「旅立つ最愛の人を見送る涙」だったんじゃないかと、今更ながら思う。
(08.01.30)

3.
 役作りをするのはキャストだけではない。
 照明プランナーの慶信くんは舞台上、ピンスポの位置なんかに自分で立ってみるという。
 自らすず子になり、こと江になり、その上でどんな灯かりを当てるか考える。
 魂を込めるってのはこういうことか。
(08.01.30)

2.
 このお話の源流にあるのは、自分が就職したばかりの頃の経験だと思う。
 高卒でいきなり配属されたのが老人ホーム。
 事務職とはいえ、たまには入所者の話し相手なんかすることがある。
 ある日事務所にフラフラとやってきた認知症(当時は「痴呆」と言った)のおばあちゃん。
 20分の間に同じ話を4〜5回も繰り返されて、正直に言うと辟易した。
 その話はだいたい以下のようなもの。

 寝ようかという頃、ご主人が「おまえ、わしが死んだらどうするかや」と言うので、「何バカなことを」と取り合わずにそのまま寝てしまった。
 朝起きた時には、ご主人は冷たくなっていた。

 あとで思い返して、
「何でそんな悲しいことを覚えてるんかなぁ。
痴呆ついでに忘れとけばいいのに」
と思い始めたら、その話が忘れられなくなった。
 実際には楽しいことも覚えていたり、その楽しい話を繰り返したりする人もいる。
 だから「人はそういうものだ」なんて断定するつもりはないんだけど。
 ただ我が身を振り返ってみても、「こんな記憶いらん!」と思ったからって、そう都合よくは消えてくれないもの。
 初日に こと江父の「付け髭」がはがれた件、忘れたいんだけど忘れられん。(^o^;)
(08.01.30)


1.
 取材を受けたとき苦労したのが、
「どんなミュージカルなんですか?」
・・・と聞かれたとき。
 説明できないんだよな〜(>_<;)
 いちおう「昭和が舞台です」とか「戦争とか高齢者問題とか」なんて言ってたけど、本音では、
・・・「それじゃ語りつくせないんだよ!(^o^;)」
 「記憶、思い出」がテーマだといわれて、どれだけの人が関心を持ってくれるだろう?
 なんかいいキャッチコピーを考えとかなきゃ。
(08.01.30)



↑ 中央公民館で。その人はいつも&トラッシュ

↑ ジャストホールで。ジャリーズのお芝居を考え中。



↑ かなえ先生(11月)。まだこの頃は形が
できてなくて、指導陣もヒヤヒヤ(^_^;)

↑ 市民学習センターでバンド合わせ。(12月)

↑ 通し稽古。(1月19〜20日)

↑ 舞台仕込み。(1月23〜25日)
これはこと江の実家のセット。

↑ ゲネを前にスタッフ打ち合わせ。(1月25日)




↑ 公演2日目分ゲネプロ。(1月25日)

↑ バンドは下手そで奥に(1月25日)










↑ 戦闘準備!(1月26〜27日)


↑ わかる範囲で‥‥(^_^;)
カゲコK崎さん、カゲコF原さん、パーカスヒデさん、ノブ先生、ギターアキラさん、シンセもろいさん、ベースF兄さん、サックスおまみさん、ドラムゆーぞうさん
カゲコ兄さん、カゲコ兄さん、カゲコ姉さん、カゲコみきさん、カゲコちかさん、オッキー、トランペットすけさん、ピアノみこさん
カゲコやすくん、カゲコY田さん、カゲコ兄さん、あそりん、だいき、島ちゃん、ヒロくん、ライスマン、舞監杉さん
大きい百合さん、ゆうこりん、すみこさん、みさえさん、おおたにボス、M下さん、ミヤコさん、マチコさん、中ちゃん
のんちゃん、とみちゃん、なっちゃん、かなちゃん、大きいまゆちゃん、ようへい、ゆうご、あんちゃん
はづき、すっちー、さきちゃん、はなこ、さやか、小さいまゆちゃん、ちいさい百合ちゃん、きほ、すみか

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