牧場の紹介

 

牧場の概要    

所在地

島根県益田市種村町イ1780番地1

資本金

11,940,000円

設立

昭和48年8月29日

構成員

3戸  5名

常時雇用

男:16名   女:7名

土地

23ha (施設用地5ha、草地9ha、山林8ha)

飼養頭数

6,149頭

肥育牛:3,828頭

(和牛:1,892頭、F1クロス:2頭、F1:1,930頭、ホル:4頭)

 

繁殖牛:804頭

(和牛:804頭)

 

育成牛:1,038頭

(和牛:354頭、F1:684頭)

 

哺育牛:479頭

(和牛:250頭、F1:229頭)

平成23年6月30日 現在

 

 

 

 

農業経営の歩み

1. 経営を担う兄弟2人

経営者の牧場長松永和平(まつながかずひら)は現在、57歳、弟の松永直行(まつながなおゆき)は、54歳。

兄の和平は、浜田市の商業高校の情報処理科の第1期生で、卒業後、大阪の大手銀行に勤務しました。地元益田市の高校でなく、わざわざ浜田市の高校に通ったのは、これからは情報処理の時代だという思いだけでなく、親元を離れたいという気持ちからでした。当時、和平の父親は、屋敷地での乳用種の肥育経営を行っていましたが、休みになるときれいな服を着て遊びに出かける周囲のサラリーマン家庭の親子の姿と比較し、朝早くから夜遅くまで働く父親の姿を見てむしろ反発を感じていたのです。そんな和平は、農業以外の職業なら何でもよいと思って選んだのが銀行員でした。

これと対照的だったのが弟の直行。大の牛好きで、小学校の頃から、毎朝の牛の餌やりを欠かさず、そのために学校を遅刻しても先生の公認となっていたほどです。そんなことから、父親の後を継ぐのは弟の直行と思われていました。

 

2. 銀行員から肥育牛経営者に

ところが、昭和48年、父親が交通事故で大怪我をしました。松永牧場のピンチです。後を継ぐ予定だった弟の直行はまだ高校生。そのころ兄の和平は、農業がいやで銀行員になったものの、一方で大阪という大都会の雰囲気に馴染めないものを感じていました。知らせを聞いて和平は、帰郷することを決意しました。予定外の出来事で家の農業を継ぐことになりましたが、従来のやりかたに疑問を感じていた和平は、経営の大規模化、近代化をめざしました。このため、家の屋敷地内にあった畜舎を、さらに山奥に入った開拓地に移転することを決意。資金導入のため、融資枠の大きい法人という形態に経営を転換しました。当時の法人の構成員は5戸6名で、和平とその両親のほか、家畜出資をした高齢農家2戸と土地出資をした地主でした。

このように農事組合法人松永牧場は、和平の農業の歩みと同時に生まれました。しかし、最初から和平が経営者になったわけでなく、初めは父親が経営者です。設立当初は地域の酪農家約80戸から直接、素牛の乳用種の雄のヌレ子を導入し、放牧しながら肥育を行っていました。和平は、10年間父親のもとで主に経理担当として働いてきました。この間、昭和53年には弟の直行も広島県立農業短大を卒業して事業に参加、兄弟それぞれが結婚し、家族も増えてきました。直行の意見を取り入れ、これまでの放牧を舎飼に変え、廃材利用の牛舎を次々に増設していきました。その結果、昭和58年頃には飼養頭数が約700頭までに伸びてきました。

以後、順調に規模拡大を重ね、現在に至っています。

 

地域の紹介  

益田市は、島根県の最先端にあって山口県に接した石見地方の中心都市です。北は日本海を望み、南は中国山地がつらなり、海と山の自然に恵まれた山陰と山陽を結ぶ交通の要です。この益田市の中心から車で約20分、山間の開拓地にあるのが農事組合法人 「松永牧場」です。施設用地や飼料畑など40ヘクタールにも及ぶ敷地は、昭和48年の法人設立ととも導入した公社営畜産基地建設事業により造成されました。開拓当時、開拓地より山を下った周辺地域の農業は稲作のほか、酪農が盛んでした。