6.ドイツの戦闘機「Bf109」は世界一ィィ!!


Bf109G−2


ベルサイユ条約が事実上骨抜き同然となり、再軍備宣言も時間の問題となった1934年、

ドイツ航空省は来るべき再軍備宣言後の新生ドイツ空軍の新型戦闘機となるべき機体の

競作審査を命じ、アラド、フォッケウルフ、ハインケル、BFW(バイエリッシュ航空機会社)の

4社がこれに応じた。

新参のBFWは、メッサーシュミット博士の指導の下、"極力小型・軽量な機体に高出力エンジンを

搭載すれば自ずと高性能が得られる"という基本コンセプトにそって設計し、1935年5月

原型1号機を完成させた。

1935年10月から始まった比較審査では、まず設計的な面から固定脚、パラソル翼の

Ar80、Fw159が早々と脱落し、He112とBf109の一騎打ちとなった。He112は

Bf109と対照的に曲線を多用したいかにもハインケル社らしい全金属製低翼単葉引込脚機で、

Bf109のような際立った特徴はないが全般的に余裕のあるバランスのとれた機体だっが、

最後は政治的な判断が大きく作用してBf109が正式採用となった。

東部戦線のBf109G−6初期型Bf109は、急速に一定戦力を整える必要から生産性も重視し、

複雑な曲線を一切使わず、主尾翼は単純な直線でまとめ、

胴体後部は7分割した半円形の外板を1個おきにリベット止めし、

これに5本の縦通材を通し、最後に左右を接合するという簡素な

組立法を採った。そして、本機の構造上特に際立っているのが

主脚である。エンジン以外の部分でもっとも重量がかさみ、

かつ強度上の制約を受ける部分で、メッサーシュミット博士は、

この主脚を思い切ってエンジン防火壁に取り付け、左右とも

それぞれ外側へ引き込ませて主翼内に収める奇抜な方法を採った。

これによって強度は主翼に取り付けるより大幅に高められるし、余分な重量もかさまず、

理論上は一石二鳥のアイデアといえた。しかし、その反面トレッドは狭くなり、離着陸時の

不安定さは増大した。結局この欠陥は最後までBf109につきまとい、特に若年や新参パイロットの

不評をかうことになった。しかし、飛行性能、特に急降下、加速性能は抜群で、これを活かした

2機1組(ロッテ)による一撃離脱戦法は第2次世界大戦の基本空戦法となったのである。

また、機体が小さいだけに翼面過重が高く、そのままでは離着陸性能にも影響は必死だったが、

両主翼前縁にハンドレページ式自動スラットを装備して対処していたことは先進的だった。

10年間におよぶ開発期間、合計約33,000機に達する生産数は無論単一機種としてはソ連の

Il−2に次いで2位の記録であり、好むと好まざるとに関わらず、Bf109は

ドイツ空軍主力戦闘機の座を最後まで保ち続けたのである。

Messerschmitt Bf109G−6 諸元表
乗員
全幅(o) 9,924
全長(o) 9,020
全高(o) 2,600
轍間距離(o) 2,062
自重(s) 2,268
全備重量(s) 3,196
エンジン DB605A
離昇出力(Hp) 1,475
海面上戦闘出力(Hp) 1,310
武装 13oMG131×2、
20oMG151/20×1
プロペラ VDM/9−12087
ブレード径(o) 3,000
最高速度
(q/h-6,600m)
630
緊急時最高速度
(q/h-6,600m)
640
平均巡航速度
(q/h-6,000m)
560
航続距離(q) 650
実用上昇限度(m) 11,200
6,000m迄
上昇時間(分)
上昇率(m/秒) 17
離陸滑走距離(m) 400
着陸速度(q/h) 146
生産機数 23,000機
製造 メッサーシュミット社

〜参考文献〜

『ドイツ戦闘機 1914-1990 Vol.1』 戦車マガジン

『メッサーシュミットBf109G/K』 モデルアート社

『図解 世界の軍用機史[1903-45]』 グリーンアロー出版社


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