12.ドイツの駆逐戦車「Sturmgeschutz mit 8.8pPak43/2」は世界一ィィ!!
エレファントは、現在、高性能スポーツカー・メーカーとして有名なポルシェ社が設計した車体で、
これほど数奇な運命をたどった戦車も珍しいだろう。
エレファントのベースとなった車体は、ポルシェティーガーと呼ばれる車体で、1941年5月、
ソ連戦車に対抗し得る88o砲を搭載した、45tクラスの新型戦車の設計要求に応じて
製作されたものである。
この車体はVK4500(P)と命名され、1942年4月、試作第1号車が完成した。
本車は駆動方式に非常にユニークなディーゼルエレクトリック方式(エンジンで発電機を回し、
その電力でモーターを動かして駆動する)を採用していた。しかし、この装置は信頼性が低く、
戦略物資の銅を大量に使用するという欠点も持っていた。
結局、VK4500(P)はヘンシェル社案との競作に破れ、開発は中止された。しかし、
ポルシェ博士の設計案を高く買っていたヒトラーは、VK4500(P)の車体を流用した
重突撃砲戦車の開発を命じた。
こうしてVK4500(P)は駆逐戦車として生まれ変わることになったが、その改造は
きわめて大規模なものであった。戦車型では後部にあったエンジンは中央部に移され、
後部が戦闘室とされた。装甲厚は前面200o、側後面80oという装甲が施されて、
重駆逐戦車の名に恥じない重装甲を誇った。主砲は、本来の戦車型が56口径88o砲で
あったのに対し、長大な71口径88o砲を装備した。
エレファントは1943年の5月までに90両が完成し、
2個重駆逐戦車大隊に配備されて、7月のツィタデル攻勢に
突破戦力の要として投入された。しかし、強力な主砲の
威力によって大きな戦果を挙げたものの、鈍重な機動力、
対歩兵火器の欠如により、肉薄攻撃で破壊されることも
多かった。ツィタデル攻勢の失敗後、引き上げられた48両のエレファントは、
前方機関銃の装備、車長用キューポラの装備などの改修を受けた後、イタリア戦線に投入された。
そこではほとんど機動力のいらない防御戦闘に従事し、連合軍相手に粘り強い戦いを続けた。
なお、エレファントは当初、設計者のポルシェ博士の名「フェルディナンド」の名で呼ばれていた。
Sturmgeschutz mit 8.8pPak43/2(Elefant)要目表 |
車体重量(t) |
65.0 |
乗員 |
6 |
全長(o) |
8,140 |
全幅(o) |
3,380 |
全高(o) |
2,970 |
地上高(o) |
480 |
接地長(o) |
4,175 |
轍距(o) |
2,680 |
履帯幅(o) |
640 |
接地圧(s/cu) |
1.23 |
装甲厚(o) |
|
車体前面 |
200 |
車体側面 |
80 |
車体上面 |
80 |
防楯前面 |
200 |
防楯側面 |
80 |
防楯上面 |
80 |
|
エンジン |
マイバッハHL120TRM |
出力(PS) |
530 |
燃料容量(g) |
1,080 |
武装 |
|
主砲型式 |
8.8pStuK43 |
機銃 |
7.92oMG34×1 |
携行弾数(主砲) |
55 |
携行弾数(機銃) |
600 |
最高速度(q/h) |
20 |
登坂能力(°) |
22 |
超濠能力(o) |
2,640 |
超堤能力(o) |
780 |
徒渉水深(o) |
1,000 |
行動距離(q) |
90〜150 |
生産台数 |
90(1943年) |
製造 |
ニーベルンゲン製作所 |
|
〜参考文献〜
『異形戦車ものしり大百科』 光人社
『第2次世界大戦のドイツ戦車』 サンデーアート社
『W.W.U ILLUSTRATED 戦車名鑑 1939〜45』
光栄
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