13.ドイツの戦闘機「Fw190」は世界一ィィ!!


Fw190A−8


Fw190誕生のきっかけは、Bf109の順調な配備が続けられていた1938年春、

ドイツ空軍技術局がBf109を補完する戦闘機の設計をフォッケウルフ社に指示したことに始まる。

メッサーシュミットができ得る限り小型の機体に最強力のエンジンを付け、

高性能を引き出そうとしたのに対し、フォッケウルフ社の技術部長クルト・タンクは、

重武装を備え、酷使に耐え、取り扱いも容易でなおかつ高性能な機体を狙った。タンク自身の

言を借りれば、「Bf109やスピットファイアは、馬にたとえればサラブレッドである。だが、

真に戦場で求められているのは頑丈な軍馬なのだ。しかし軍馬だからといって速度や上昇力で

サラブレッドに大きく劣ったのでは戦力にはならない。そこで我々は飛行性能を犠牲にすることなく

頑丈な機体を作ることにした」。これがFw190の総てを語っているといっていい。

Fw190の設計は、クルト・タンクを主務者として有能な技師達のチームワークのもとに進められ、

原型機Fw190V1は1939年5月に完成した。

同機は6月1日、ハンス・ザンダーの操縦により初飛行に成功した。エンジンの冷却不足、

コクピットの温度上昇を除きほぼ順調な滑り出しであった。ザンダーは優秀なテストパイロットで

あると同時に冷静な技術者でもあった人物で、後にイギリスが絶賛した本機のコクピットの

レイアウトはザンダーの設計によるものとされている。

Fw190は無類の頑丈さを備えて設計されていたが、生産性、整備性にも最大の注意が

払われていた。このあたりはBf109にも共通する点だが、量産しやすく維持が簡単でなければ

戦力として役に立たないというドイツ的な合理精神がいかんなく発揮されている。性能を

優先するあまり、細かいところに手をかけ過ぎて結局たいした戦力にならなかった飛行機の多い

日本とは一味もふた味も違うところである。

最初の量産型Fw190A−1は、1941年7月からベルギー・モールゼーレの6./JG26に

配備が始められ、9月にはスピットファイアVと遭遇戦を展開し、圧倒的な強味を発揮して

見せたのである。

主翼に誘導役の地上員を乗せ、滑走路へタキシングするFw190A−8 A型は、A−3以降武装、装甲の強化やエンジン出力

増強装置の追加などの改良が行われて、

最終量産型A−9に至る各型が敗戦時まで量産された。

その間Bf109と同様に数多くのU、R使用の

サブタイプが誕生し、他用途に用いられた。

しかし、素晴らしいデビューを飾ったFw190にも全く

不安材料がなかったわけではなかった。

それは高々度性能の不足で、この点だけはライバルと目したBf109に一歩譲らなければ

ならなかったのである。

高々度性能を向上させたD型は高度10,000mで最大速度683q/hを発揮し、P−51D、

P−47Dと互角以上に戦える実力を有していたが、その出現はあまりに遅く、量産に入った

1944年の夏にはドイツ本土はすでに連合軍の制空権下にあった。

D型の約700機を含めたFw190の総生産数は20,001機で、Bf109の33,000機には

遠くおよばなかったが、ドイツ空軍戦闘機隊の一方の主力機としての地位は不動である。

Focke−Wulf Fw190A−8 諸元表
乗員
全幅(o) 10,510
全長(o) 8,950
全高(o) 3,950
(プロペラを含む)
翼面積(u) 18.300
基準重量(s) 3,470
全備重量(s) 4,750
エンジン 空冷14気筒2重星型
BMW801D−2
離昇出力(Hp) 1,700
高度5,600mでの
出力(Hp)
1,440
武装 13oMG131×2、
20oMG151/20×4
プロペラ VDM式定速可変ピッチ
ブレード径(o) 3,300
最高速度
(q/h-6,200m)
640
684
(GM−1増強装置使用)
巡航速度
(q/h-6,000m)
580
最大航続距離(q) 1,450
(300g予備タンク装備)
上昇限度(m) 10,400
6,000m迄
上昇時間(分)
8,000m迄
上昇時間(分)
11
旋回性能(秒) 13
(全速180度旋回)
着陸速度(q/h) 155
生産機数 約8,300機
(A型)
製造 フォッケウルフ航空機設計

〜参考文献〜

『ドイツ戦闘機 1914-1990 Vol.1』 戦車マガジン

『航空ファンイラストレイテッド bT7 Me109 vs Fw190』 文林堂

『フォッケウルフFw190 その開発と戦歴』 大日本絵画


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