He111は、1932年に国防省の陸軍兵器局が示した指針に基づいて、爆撃機と旅客機の
双方に使える近代的な双発機として計画され、1933年に原型機の製作契約を受けて、
1935年にその1号機が初飛行した。その当時は爆撃機として使うことは秘密にされ、
後に爆撃機型が公表されると、旅客機をもとに爆撃機型が開発されたような印象を与えたが、
He111がそう信じ込ませるようなスタイルをしていたことも確かである。
高速性能で世界を驚かせた単発旅客機He70の空力的特徴を受け継ぎ、主翼と尾翼に
滑らかな曲線を描く楕円翼を用い、ほっそりとした胴体と組み合わせた姿は女性的な感じであった。
それに、爆撃機ならば胴体に爆弾倉を設けるため、中翼か高翼にするのが常識なのに、
He111は低翼配置にしていた。
だが、He111が最初から爆撃機ととしての使用を前提にして開発されたことは紛れもない事実で、
胴体内を貫通する主翼の2本の桁の中間に、縦に爆弾を収容する爆弾倉を設置すればいいと、
全体のまとまりがいい低翼形式を選んだのである。ただ、この爆弾倉は左右2列に計8個の箱を
並べた形になっており、寸法的に250s爆弾までしか収容できず、He111の欠点の一つとなった。
ただし、P−4及びH−4以降の型では、爆弾倉をつぶしてその下面に爆弾架を設置するという
方法で大型爆弾の搭載を可能にしている。
ユモ211装備のHe111Hは、He111の中でも最も多く量産され、中型爆撃機の主力として
多くの任務、多くの戦場で使用された。そのため、Hシリーズは実にH−23まで多くの型があり、
次第にエンジンのパワーを増し、防御武装と防弾装甲を強化、爆弾搭載量の増加と搭載兵器の
多様化を進めている。そのほか、特定の用途向けに改修を施した型もある。
He111は、同時期に開発されたDo17とJu86に
比べ、総合的に見て最も優れた爆撃機であった。
大戦初期の段階でこれだけの速度を持つ爆撃機というのは
あまりなく、爆弾搭載量はこのクラスの双発機として
水準に達し、それに安定がよく、操舵に素直に反応する
操縦特性はパイロットに愛された。
大戦の中期以降になると、He111がもう旧式なのは
明らかであったが、それでも1944年まで生産が続けられ、
総計約7,300機も作られたのは、後継機がついに登場しなかったことが大きく影響している。
しかし、Do17/Do217シリーズよりもバランスのとれた能力を備え、使いやすい爆撃機で
あったことは確かであろう。
Heinkel He111H−16諸元表 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
〜参考文献〜
『航空ファン別冊 ILLUSTRATED 49 第二次大戦ドイツ軍用機』
文林堂
『第2次大戦爆撃機』 鶴書房
『グラフィックアクションbQ9 WWUドイツ空・海軍兵器図鑑』
文林堂
戻る