10.ドイツの拳銃は世界一ィィ!!



第2次世界大戦中のドイツ軍には、ルガーP08、ワルサーP38という2つの制式拳銃があった。

私が好きなのは不思議な魅力を持ったP08の方だが、ルパン3世で有名なP38は、

世界でもっとも優れた拳銃だと思っている。

そういうこともあって、大学生のときには、両者を比較したレポートを書いたこともある。

成績は可だっただろうか。



ルガーP08
LUGER P08

ルガーP08
口 径 9o 作動方式 反動利用半自動式
全 長 22.2p 給弾方式 8発単列箱方弾倉
銃身長 10.2p 前方照準器 照星
重 量 870g 後方照準器 V型照門
装弾数 8発 製 造 DWM社
モーゼル社
クリークホーフ社
ほか
有効射程 50m
初 速 毎秒
320m

尺取虫スタイルの遊底で有名なP08は、1908年に帝政ドイツ陸軍の制式拳銃となり、

第2次世界大戦中期までに300万丁以上がが生産されたといわれる超ロングセラー拳銃である。

同年に海軍でも採用され、DWM社とエルフルト兵器廠で生産されて、第1次世界大戦の

ドイツ軍戦場のすべてで使用された。

P08は、その独特のスタイルと9oパラベラム弾の高性能で一躍有名になり、連合軍兵士の

格好の記念品として狙われ、彼らが本国に持ち帰ったことで人気を高めた。第1次大戦後、

連合軍側が9oパラ口径のP08の製造を禁止したことからもその高い性能がうかがわれよう。

1920年になると、P08は外国での人気によりDWM社が7.62o口径で生産を再開していた。

22年には、ジムゾン&Coがエルフルト兵器廠の設備を入手して輸出用ルガーを造りはじめるが、

軍用としてP08が息を吹き返すのは34年の再軍備によってである。しかし、P08は基本的に

20世紀初頭のデザインであり、近代戦での消耗に見合うだけの生産性は備えておらず、

再軍備開始当初から早く数を揃えることのできる後継の拳銃が求められていた。

P08の復座装置の操作、点検方法を教示中の山岳猟兵下士官

また、P08は泥や雪に弱いという欠点があり、野戦での

悪条件下ではよく機能不良を起こすため軍用としては

不向きな拳銃であった。

P08は将兵に好まれていたし、どこからも文句はなかったが、

戦争当局者から見ると性能が同等なら早く安く造れるものを

求めるのは当然であり、1938年の競争試作にワルサー社の

HPが勝ち、生産性を高めるための小改修を加えた後、

P38として採用されることになる。

こうしてP08の生産はストップすることとなったが、

モーゼル社では1943年まで生産を続けて、40年には

オランダ、スペイン、ラトビア、43年にはポルトガルなどへ

供給し続け、長い軍用拳銃としての幕を閉じたのである。

しかし、射撃精度、操作性、バランスともに優れたP08は、

1900年に原型が完成して以来、今日にいたっても人気の衰えない不思議な魅力に富んだ拳銃である。



ワルサーP38
WALTHER P38

ワルサーP38
口 径 9o 作動方式 反動利用半自動式
全 長 21.5p 給弾方式 8発単列型弾倉
銃身長 12.5p 前方照準器 照星
重 量 940g 後方照準器 半円形照門
装弾数 8発 製 造 ワルサー社
モーゼル社
シュプレー社
ほか
有効射程 50m
初 速 毎秒
340m


P38はチューリンゲン州ツェラ・メーリスのC・ワルサー社の作品で、P08のような

尺取虫遊底のように目立つ外観上の特徴はないが、軍用銃として初めてダブルアクション引金を

実用化したのが最大の特徴である。

オートマのダブルアクション引金は、20世紀初頭以来多くの試作がなされたが、

いずれも今一つで、1929年にワルサーPPが実用化したのが最初であった。P38では、

大口径で荒っぽく使われる軍用拳銃に実用化されたという点に意味があり、それ以外

P38に目立つ長所はない。P38はダブルアクションだけでその名声を得ており、

戦利品としての価値はP08以上だったという。

だが、P08は1942年まで量産されていたし、捕獲銃がたくさんあったので、P38は

戦争中期まで本格的に生産はされなかった。ところが、酷寒のスターリングラード戦線で、

P08をはじめとする他の銃が凍りついて使えないのに、最初から量産を考慮して製造公差を

大きくしていたP38は平然と作動してみせたし、サブマシンガン用の強装弾も平気で呑み込む

強度を示して一躍スターダムにのし上がった。

P38を手に近接戦闘訓練中の国防軍兵士

製造もワルサー社だけでは足りず、P08の生産を中止して

モーゼル社も生産したし、ベルリンの大砲屋スプレーヴェルケ社も

動員され、さらにベルギーのFN社までP38の遊底や銃身の

製造に駆り立てられ、チェコでもパーツが造られている。

結局ワルサー社で594,100丁、モーゼル社で

346,000丁、スプレーヴェルケ社で284,500丁の

P38が生産された。戦後は東欧圏でも広く使われ、フランスは

モーゼル社で4万丁ものP38を生産させている。

戦時中のP38の最終型はHIパワーと呼ばれるもので、普通の複雑なレシーバーとスライドを

排して、もっと簡単な鋼板型打ちのものと入れ替えて、銃身も交換できるようにと考えたもので

あった。しかし、戦争末期の混乱や工作機械の入手問題などの理由で生産に入ることは

なかった。

1957年、ウルムで生産を再開した新生ワルサー社のP38が、P1として西ドイツ陸軍の

制式拳銃となったことは、P38が名銃であることを示すものである。


〜参考文献〜

『戦車マガジン1月号別冊 W.W.U ドイツ戦闘兵器の全貌1』 戦車マガジン

『月刊アームズ・マガジン7月号別冊 第二次大戦ドイツ兵器写真集』 ホビージャパン

『第二次世界大戦文庫11 拳銃・小銃・機関銃』 サンケイ出版


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