4.ドイツの重戦車「Pz.Kpfw.Y」は世界一ィィ!!



ティーガーT

ドイツ戦車の代名詞的存在として知られるY号戦車E型「ティーガーT」だが、その開発は

1937年に開始されている。しかし、V号及びW号戦車が満足すべき成果を収めたために

一時的に中断してしまう。

再び開発が行われるのは41年に入ってからのことで、それは前年の西方作戦で遭遇した

イギリスのマチルダやフランスのシャールB1などの重装甲を持つ戦車に影響を受けたことに

よるものである。これによって再び敵陣地突破用の重戦車の開発がスタートした。

そして当時、ポルシェ社が8.8p砲を搭載した45トンのVK4501、ヘンシェル社が

口径漸減砲0725を装備した軽量のVK3601を開発し、砲塔はクルップ社が双方のものを

製作していた。しかし、VK3601の方は間もなく0725の砲弾にタングステン・カーバイドを

大量に必要とし、その需要がまかなえないことが明らかになったので、1942年4月には

ヒトラーの直接の指示で開発中止となった。

開発中止となった0725に代わって8.8p砲をつけるなどの改修を行ったVK3601は、

名称もVK4501(H)に変更された。これにともなってポルシェ社のVK4501には

(P)がつけられるようになった。

VK4501の(P)と(H)は、ともにヒトラーの誕生日に展示され、その後軍の

比較テストを受けてヘンシェル製のVK4501が採用となった。理由は、

ヘンシェル型のオーソドックスな駆動方式がトラブルが少ないということにあったが、

ヒトラーはポルシェの車輌にも強い関心を示し、テストの終了前にポルシェ・ティーガー

90台が特別に発注されている。

イギリス軍に捕獲され、テストを受けるティーガーT ティーガーは重量56トンを超す大型の戦車であったが、

完全な自動変速機とステアリング機構を持っていたので

運転は楽で、主砲の威力も絶大であった。しかし、

生産に手間がかかる、56トンという重量のため普通の

橋を通過できない、熟練しない乗員にはキャタピラーの

交換が不可能、燃料消費量が多いので航続距離が短い、

砲塔の回転速度が遅いなど多くの欠点があった。

1942年から実戦投入となったティーガーは、独立大隊として運用され、東部戦線や

北アフリカ戦線で敵戦車群を次々と撃破し、その強力な破壊力と防御力は

連合軍兵士の恐怖の的となった。


Pz.Kpfw.Y (TigerT) E 要目表
戦闘重量(t) 56.90
車体重量(t) 44.55
乗員
寸法(o)
全長 8,241
車体長 6,200
全幅 3,730
全高 2,860
地上高 430
接地長 3,605
履帯中心線間距離 2,822
履帯幅 725(戦闘用)
520(輸送用)
接地圧(s/cu) 1.04
装甲厚(o)
車体前面 100
車体側面 80
車体上面 80
砲塔前面 100
砲塔側面 80
砲塔上面 80
エンジン マイバッハ HL210P45
出力(PS) 650
燃料容量(g) 534
武装
主砲型式 8.8p Kwk36L/56
機銃 7.92o MG34×2
近接防御兵器 NvW×6
携行弾数(主砲) 92
携行弾数(機銃) 3,920
行動能力
最高速度(q/h) 38
登坂能力(°) 35
超壕能力(o) 2,300
超堤能力(o) 790
徒渉水深(o) 1,200
行動距離(q) 100
最小旋回半径(o) 7,000
生産台数 1,354台
(1942〜44年)
製造 ヘンシェル社
ヴェクマン社

〜参考文献〜

『第2次世界大戦のドイツ戦車』 サンデーアート社

『グラフィックアクションbQ8 WWUドイツ陸軍兵器図鑑』 文林堂

『ティーガーT重戦車』 戦車マガジン


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