11.ドイツの重戦車「Pz.Kpfw.Y(U)」は世界一ィィ!!
ティーガーUは、それまでのドイツ戦車の流れを集大成したともいえる強い武装と装甲を誇る重戦車で、
ドイツ戦車の最後を飾るにふさわしく、数こそ少なかったが連合軍に多いに恐れられた。
ティーガーUの開発はティーガーTに遅れることわずか7ヶ月足らずの1943年1月から始められ、
ティーガーTの構造的な欠陥の除去と大口径8.8p砲の搭載、装甲厚の強化などが
取り入れられた。また、すでに開発を終了したパンターで採用された避弾経始の優れた
車体形状を本車にも適応するとされたため、同じY号戦車と称されていても、実質的には
パンターの大型化といった方がより適切であろう。
この新重戦車開発計画は、前作ティーガーT同様にポルシェ車(VK4502P)、
ヘンシェル社(VK4503H)の両社の設計案により争われたが、信頼性の高いヘンシェル社の
案が選考され、同社はただちに設計に入った。しかし、パンターシリーズの発展型として
計画が進められているパンターUとの間に部品の互換性を持たせるため、ティーガーUも設計時より
考慮を行ったため、設計作業は難航し、設計が完了したのは43年10月のことで、当初の計画より
3ヶ月近くも遅れてしまった。
この設計完了を前にした43年10月20日、アリス展示場において他の新型戦闘車輌と共に
ティーガーUのモックアップがヒトラーに展示されたが、ティーガーUを見たヒトラーは
深い感銘を受けたと伝えられている。
ティーガーUの生産は44年1月から開始されたが、
生産型はポルシェ社のVK4502P用に開発された
局面の多いヴェクマン社の砲塔を用いるとされた。
これは、この砲塔の方が避弾経始がよいとされたことに
縁起するものだが、この砲塔は前面下部の局面部が
跳弾を引き起こす欠陥を持ち、湾曲した装甲板は
製造に難があった。結局、問題解決のため
クルップ社で新型砲塔が設計され、これが標準の量産型砲塔となった。
なお、すでに生産を進めていた50個分の砲塔は、生産の遅延を生じたため止むを得ずそのまま
用いることとされ、50両のみがヴェクマン社の砲塔を装備して完成した。
51両目から採用されたクルップ社の角型砲塔は、前面180o、側面・後面80oと
かなりの重装甲で、加えて生産も容易というメリットを有している。
いずれにせよ、総じて戦闘力は高かったものの、ティーガーTの後期生産車に採用されたものと
同じエンジンを搭載しており、それでいて重量はティーガーTの57tから68tに大幅に
増加しているため、機動性が悪く、最後までこれを克服することはできなかった。
Pz.Kpfw.Y(TIGERU ヘンシェル砲塔)要目表 |
車体重量(t) |
69.8 |
乗員 |
5 |
全長(o) |
10,286
(砲含む) |
全幅(o) |
3,755
(シュルツェン含む) |
全高(o) |
3,090 |
地上高(o) |
485 |
接地長(o) |
4,120 |
轍距(o) |
2,790 |
履帯幅(o) |
800 |
接地圧
(s/cu) |
1.02 |
履帯型式 |
kgs73/800/52 |
装甲厚(o) |
|
車体前面 |
150 |
車体側面 |
80 |
車体上面 |
80 |
砲塔前面 |
180 |
砲塔側面 |
80 |
砲塔上面 |
80 |
|
エンジン |
マイバッハHL230P30 |
出力(PS) |
700 |
燃料容量(g) |
860 |
武装 |
|
主砲型式 |
8.8p Kwk43L/71 |
機銃 |
7.92o MG34×2 |
近接防御兵器 |
6NbW |
携行弾数(主砲) |
84 |
携行弾数(機銃) |
5,850 |
最高速度(q/h) |
41.5 |
登坂能力(°) |
35 |
超壕能力(o) |
2,500 |
超堤能力(o) |
850 |
徒渉水深(o) |
1,600 |
行動距離(q) |
170 |
生産台数 |
486
(44年1月〜45年3月) |
製造 |
ヘンシェル社 |
|
〜参考文献〜
『GERMAN COMBAT TANKS IN
W.W.U』 ホビージャパン
『第2次世界大戦のドイツ戦車』 サンデーアート社
『ドイツ戦車発達史』 光人社
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