「ケア=依存労働」って??
☆ 最近面白い本に出会いました。著者は京都大学大学院で心理学を学び、心理カウンセラ ー、セラピストとして働こうとした男性。なかなか就職先が見つからず、やっと見つけた 職場が沖縄にある精神科病院。そして働くセクションがのデイケア。書名は「居るのはつ らいよ」
デイケアではじっとタバコを吸っている人、新聞をじっと見ている人、じっと窓の外を 見ている人、話しかけても反応のない人などなどで、セラピーとはかけ離れた現場に戸惑 い、著者自身「居る」ことの辛さを感じ、「セラピーとケアの違い」、「居る」というこ とはどういうことなのか考えざるを得なくなりそれを綴っている。
色々と示唆に富んだ本ですが、紙面の都合上、今回は「ケアとは何か。ケアという依存 労働」、についてご紹介。
まず「ケアという依存労働」について。これはキテイという哲学者の著書から「依存労 働は、脆弱な状態にある他者を世話(ケア)する仕事である。依存労働は親密な者同士の 絆を維持し、あるいはそれ自体が親密さや信頼、すなわちつながりをつくりだす。」
具体的に分かりやすく言えば、乳幼児が母親に全依存し、母親は授乳、オムツ替え等々 様々な関わり(ケア)を行い、それを行うことで、親密さや信頼の関係が築かれてゆくと いうことのようだ。
その時の母親(本当は母親でなくても父親でもいいのですが)の仕事・関わりは保育士 の如く、看護師の如く、ヘルパーの如く、調理師の如く、介護福祉士の如く、カウンセラ ーの如く、アドバイザー如く様々なケアをこなす形態となる。これを「依存労働」と名付 けている。
ただ現代は仕事が合理化、専門化され、こうした依存労働は拡散された仕事とみなされ 専門職とは認識されないことになる。そこが問題。
これが、仕事として一人で相手のあらゆる求めや依存に対応する「ケア」に当たる。問 題は全依存されることでケアする者自身が傷つき,辛くなることが起きやすいこと。
キテイは、「だから依存労働者には、ドゥーリアが必要だと述べている」と紹介してい る。この「ドゥーリア」とは、ケアする人をケアするもののこと、ケアし続けるために、 ケアする人は多くのものに支えられることを必要とすることだと述べている。
著者は「僕にもドゥーリアがあった。そのうちの大きなものが臨床心理学だった」と述 べている。育児を始めケアの現場では多くの支えが必要であり、又それが豊かさにも通じ るように思う。今回はここまで(禿)