「石見神楽とスリランカの悪魔払い」
☆ 2月24日付け山陰中央新報の「福島の詩人 和合亮一さん 奉納計  画」のタイトルの記事に驚いた。和合さんは福島市在住の詩人。東日本 大震災後に詩集を発行され多数の受賞歴のある方。
  その新聞記事には「悲しむばかりでなく、希望をいかに伝えるか、試 行錯誤する中、『当初、しかめっ面で朗読していた』と反省させられた きっかけが島根県西部の伝統芸能・石見神楽との出会いだった。被災者 を励まそうと、福島を訪れていた益田市内の神楽社中ネットワーク組織 「石見神楽神和会」を招いた講演を企画。神前の舞でありながら、時に 掛け合い漫才のようにユーモアを交え、観客を楽しませるさまに引かれ た。『何物にもない面白さやエネルギー、表現の原点を感じた』」と。
  インタビューには、「豪華絢爛かつユーモアあり、神前だけど、人を 十分に楽しませる。言葉にできない感覚に包んでくれ、表現の原点を感 じた。創作神楽で私は当初、しかめっ面で朗読していた。改めるきっか けになった」と応えておられる。
  石見神楽が、現代の代表的詩人に表現の原点を感じてもらえたという こと、またそのことを改めて教えてもらったことを私達、特に石見人は 誇りと、感謝を捧げたいと思う。
 
☆ この記事を読んで、ふと随分前に読んだ「スリランカの悪魔払い」(上 田紀行著)も思い出した。
  スリランカでは、気持ちの落ち込んだ人、ふさぎ込んだ人があると、 悪魔が取り憑いたと、村人総出で「悪魔払い」の儀式を行い、治してし まうという。
  そこでは村人が代わる代わる面白い劇や踊りでその人を笑わせ、その 人が笑うと「悪魔が逃げた」とみんなで喜ぶ風習があるという内容が書 かれていた。
孤独や、人との繋がりが薄くなると悪魔が憑く。それをみんなで、笑 わし、孤独ではないこと、人は繋がっているということを知らせる。   悪魔が憑くという表現は現代では問題も含むが、気落ちした人、鬱的 気分にある人へ社会や人とのつながりの重要性を問いかけていると思  う。最終章は「悪魔と遊ぶ」というタイトル。
 
☆ このコロナ感染が続く年度末の今、特に人との繋がり、そこでのユー モアがワクチンに劣らず大事なことを改めて知らされた記事でした。感 謝!! 繋がりのなかでこの時期を乗り越えてゆきましょう。 (禿)

編集後記