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ますだかねたかぞう
雪 舟 筆
竹心周鼎(ちくしんしゅうてい)賛
文明11年(1479)
紙本着色
1幅
82.8×40.9p
国重要文化財 |
益田兼堯(ますだかねたか)は島根県益田の第15代益田城主で、大内氏と姻戚関係にあり、常に大内氏と行動をともにし、勲功のあった武将であった。図上に竹心周鼎(ちくしんしゅうてい、石見東光寺僧)の文明11年冬の賛があることから、この頃、雪舟は益田を訪問して、兼堯の品格の高い容貌を正確にとらえ、リアルに描いたことが知られる。
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装束について
兼堯の装束は、烏帽子(えぼし)に大紋(だいもん)姿の武家の正装で、兼堯は右手に中啓(先の広がった扇)、左に腰刀を差し、上畳に座す。現在では畳の緑色のみ目立っているが、右袖部分にかすかに青色と白い菱形文様が確認される。雪舟が描いた当時は、はたしてどうであったのかという点について、類似する益田家17代宗兼像と19代藤兼像から、青系の地色の上に白色の向鶴菱(むかいつるびし)の文様が入った大紋を身に着けていたと推定される。文明11年当時雪舟は60歳、兼堯は彼より2〜3歳年下と考えられ、この兼堯像から両者の好ましい関係が見て取れる。
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顔部分
落ち窪んだ目、やや上向きの鼻、福耳、小ぶりな口など60歳前の兼堯の容貌をみごとに描く。
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