このたび小笠原氏より宗会での賦課金制度の改正についての資料を
いただきましたのでご報告させていただきます。
賦課金制度の改正について
制度の歴史
◇ 江戸時代
天保3年 (1832)
本山の財政改革として「三季冥加制度」(年頭・中元・報恩講志)の導入
◇ 明治時代
明治9年 (1876)
「僧階・堂班制度」の改正(寺格を堂班と改称した)
明治34年(1901)
「三季冥加規程」−堂班が算定(要素)
◇ 昭和時代
昭和16年(1941)−「賦課徴収規程」
「三季冥加」から「賦課金」に変り、算定基準は「寺各堂班」を主とした。
昭和22年(1947)−「賦課規程」
一般寺院に対し第一種甲類賦課金として、門徒数に応じ第一類寺院から
第六類寺院に分け、それぞれに点数を課す。又、僧侶に対して教導師(3点)、
教師(2点)、それぞれ外の僧侶に対し1点とした。(昭和24年では1点が100円)
(注)教導師=一般教師の範となるものに授与した。
「僧序規程」−「堂班」を「僧序」と見なして僧序に賦課した
昭和23年(1948)−「寺院類別査定常例」
寺院の類別は門徒数により決められた。
第一類寺院 501以上
第二類寺院 500以下
第三類寺院 300以下
第四類寺院 200以下
第五類寺院 100以下
第六類寺院 50以下
昭和24年(1949)−「門徒講規程」
門徒講に加入した者を講員とする「浄土真宗本願寺派門徒講」が成立。
前身は「本山講」である。
(注)本山講=この制度は全門信徒が個人一人一人として講員となり、講金を
納めてもらいたいとの制度でありました。
しかし家長制度は崩壊したものの、一般的には個人単位という事が理解されず、
結局、届出門徒戸数による依頼となったのが実情です。
「僧序規定の廃止」−僧序と改称されていた「堂班制度」が廃止された。
昭和30年(1955)−「類聚規定」
寺班・僧班を設けることになる。
昭和37年(1962)−賦課要素に「寺班」が入った。
昭和38年(1963)−「賦課制度調査会条例」
宗祖700回大遠忌法要直後、この条例が施行され賦課制度に関して種々検討が
なされました。その結果「類聚規定」(S30年施行)による「類聚要素」と
「門徒護持者数」を基本的な二大要素とすることでまとまる。
昭和40年(1965)−「賦課基準規程」
宗則案提出 → 継続審議となる
昭和41年(1966)−前の規程が成立
「類聚要素(寺班・僧班)」並びに「護持口数」を要素とする賦課制度と
なりました。その護持口数を各寺院より申告してもらうこととなり、実施は
S43年4月からとされました。しかし、大谷本廟の造営のため、S45年4月から
の実施となりました。
昭和45年(1970)−「賦課基準規程」が実施
護持口数の提出により「賦課基準規程」が実施されました。
この時の口数は約83万口(届出門徒戸数は88万戸)でありました。
昭和48年(1973)−護持口数の見直し
護持口数の見直しが行われました。この結果、約80万口になりました。
これ以後、護持口数の見直しは行われていません。
今回の改正の歩み
1. 昭和45年(1993)−「賦課制度等専門委員会」設置
蓮如上人500回遠忌総合計画で賦課制度の改正を重点項目と位置付け「委員会」
を設置した。この委員会では「根本的見直しを行い、賦課に対する不公平感を
払拭し、宗門護持の懇念を高揚し、財的基盤の充実安定をはかることのできる
制度の確立を目指す」ことを目的とした。
2. 平成12年(2000)−「委員会」が結果報告を提出
7年間の審議を経た総括書を提出。「中央護持口数調整委員会」設置。
3. 平成15年(2003)−「委員会」が答申書を提出(2/27)
組長通達を通知(3/31付) 各教区において護持口数を調整する。
「賦課制度調査検討委員会」設置(12/12)
「寺班」を要素から除外する。(今までとは違う)
4. 平成16年(2004)−委員会「答申書」提出(8/4)
5. 平成17年(2005)−「新・賦課制度設定にかかる基本方針について」の報告
2月「定宗」中に基本方針が提出される。
新・賦課制度によりどうなるのか?
1. 寺班にかかる点数は廃止される。
2. 護持口数はH18年から新しく調整した口数 1:0,17 点を掛けた点数になる。
3. 役職の点と僧班の点とに分かれる。
4. 1点が3,700円から2,600円になる。
5. 例えば、列座7席の人では今まで3,2点(11,840円)が3点(7,800円)になります。
列座5席で教師の人は今まで5,2点(19,240円)が7点(18,200円)になり、
列座5席で住職の人は今まで 1点(3,700円)が11点(28,600円)になります。
6. 寺院への均等割は、1,5点(5,500円)が2点(5,200円)になります。