日刊よむよむ しがつ


 
「いまここ」を生きるりえのデイリートークショウ!

  4月30日(月)雨のち曇り:雨あがりの空ってすがすがしい、人間の涙の後もこうでありたいな

天気の悪さとカゼ気味なのをいいことに、自宅に籠もってHPの改造に燃えてシマッタ。朝起きてやおら取りかかり、ふと気付くと、もう午後3時を過ぎていた。食事も取り損ねてるぞ。まったく取り憑かれてたもんだ。

リエのページの原型は、バンドXYZのHPを立ち上げた時にともさん(B)が作ってくれたものだ。彼が残したHTML言語を頼りに、ああでもない、こうでもないと作っている。HTMLについて本を読んだことも勉強したこともない。先人が残した遺産の言語を頼りに当時の言葉を喋ろうとする研究者のように(?)、数字を入れ替えてみたり、ずらしてみたり、まさしく「実践あるのみ」のHP作りだ。

今までは何とか問題なく更新してきたが、どうしてもクリアできない問題が起きた。「写真缶」の写真だ。jpegで保存してある写真を載せようとするが、オモテの写真がどうしても出ない。(クリックすると出るんだけどなあ)ここだけはどうしても分からなくて、今までともさんやきのぴ(妹の彼)に任せっきりだったのが、今こうしてアダになっちった。ううむ。小さい方の写真がうまく載ってないのは分かるが、どうすれば良いのか分からない。仕方ないので、初めてHTMLの本を見に、本屋へ出かけた。

本屋のパソコンコーナーに立つと、まるで自分がパソコンの達人のように思える。(かなり錯覚)うへえ、いろんな本があるぞ。ええと、HTMLってのを探せばいいんだよな。ところがこれまたたくさん。1冊ずつ手にとって、知りたいことが説明してある本を探す。が。1冊もなかった。(ナゼ?)しかし、本を見てビックリしたのは、見よう見まねで自分が今までやってたことが、けっこうイケてたってこと。壁紙や動画にはもともと興味がないんでやろうとは思わないし、タイトルがくるくる廻るのにも興味がない。ってことは、今自分が持ってる知識で、HP作りは取りあえず十分だってことだ。ワーイワーイ。本読んで勉強しなくてもできてるぞ〜。(ありがとう、ともさん)さしあたっての問題は「写真缶」だけだな。誰か知ってる人を捜そーっと。

ニンゲン何だって必要に迫られたらできるんだよ。パソコン習いに行かなくても、取りあえず使っちゃえばいいんだ。英語習いに行かなくても、取りあえず使っちゃえばいいんだ。そしたら「知りたいこと」に貪欲になる。何が自分に足りないか、ハッキリ分かってくる。英語が必要な環境にいるくせに、買ったばっかの「英検」の問題集にいっそ手をつけないってのは、私には必要じゃないってことなのかなあ。むーん。

  4月29日(日)曇りのち雨:雨ってさ、なんで緑をあんなにイキイキさせるのかねえ

レッドホットチリペパーズのビデオ「ファンキーモンクス」を久しぶりに再び観た。これはアルバム「ブラッドシュガーセックスマジック」のレコーディング風景を撮ったドキュメンタリービデオだ。ビデオでも本でも、何度見ても何度読んでも、その時の自分の状態によって捉え方が異なるのが興味深い。今回も今まで気づかなかったさまざまなことが見え、十分楽しむことができた。

オープニングはギターのジョン・フルシアンテの言葉だ。「4次元の世界に居る時の気分を言葉で表現しろと言われても、4次元の世界ってものには言葉も象徴も映像もない。純粋な本物のエネルギーと振動だけの世界だ。」以前は引っかかってこない言葉だったが、今はとても分かる。何を持って4次元と定義するかは定かではないが、エネルギーと振動だけの世界は確かに存在する。私がドラムを叩くことをキモチイイと感じるのは、そういう世界にトリップできるからだ。

このビデオ、もう10年前のものになってしまった。この後、ジョンの脱退、アンソニーの事故、親友リヴァーフェニックスの死、薬物の乱用、チャドの骨折などなどさまざまなことがあった。このビデオに出てくるフリーの愛娘ももうティーンエイジャーのハズ。なんてこった。時代は移っていくんだなあ。彼らのあと、さまざまなミクスチャー系のバンドもぞくぞくと出てきた。でもやっぱり、イイモノはイイ。久しぶりにレッチリの過去のアルバムを聞き直してみたくなった。

  4月28日(土)曇り:なま暖かい風

カゼを治すため昼間はずっと寝てた。と言うより、カラダが寝たがってんの。スゴイもんだ。合間をぬって、こないだの美容院でカラーリングをしてもらう。(こないだは閉店間際で時間切れ)最近巷ではチャパツが一般的になっちった。アタマが軽く見えるし、ちょっとオシャレっぽいんでリエもしてたけど、なんだか不自然な気がして、色を落としてもらう。日本人の顔ってやっぱ黒い髪の方がはえるなあ。アジアンミステリアスっていうのかなあ。海外に出ると特にそう思う。黒い髪って神秘的なのだ。(だってアタマから黒い毛が出てくるんだよ!)

夜はむねGバンド&リョーコちゃん(むねG彼女)、英ちゃん(カメラマン)、マリちゃん(V)でヤキトリ生ビール大会。まっちゃんとリエとむねGはカゼを引いてたんで「目標は2杯かなあ」なんて言ってたくせに、結局いつも通り飲んじゃった。フク兄は本日ノリノリ(死語)。ナンコツ食べて超ゴキゲンになるんで、今日から別名「ナンコツくん」に決定。(マジで)ついでに合気道とか言って、「手から水が出てるとイメージしたら手が曲がらない」とか「おでこに1円玉が2枚以上乗るんだ」とか訳の分からないことを言いだし、実験騒ぎ。スティービーワンダーを歌いながら遠い目をしてセイシュンを語ったり、ヤキトリ屋はフク兄独演場であったのだ。

そのあとみっちゃん(V)のお店に行ってまたもや大騒ぎ。そしたらバンド仲間が偶然ぞくぞくと来て、さらに大騒ぎの巻。ううむ、ビジュアル的に濃いぞ。特にパチさん声でかすぎ。マイクで歌ってる人よりでかいんだもん。店の外まで聞こえてんだもん。(マジで)サスガハードロックボーカル。(ということにしとこう)みっちゃんと今度のアコースティックライヴで競演しようと約束してお店を出たのであった。

今日はカゼのおかげで深酒せずにすんだのだ。なんとなくサワヤカ。(もう日付変わってるけど)今日むねGにもらった新曲入りのMDを聞きながらもう少し休日の夜を楽しもうかな。

  4月27日(金)晴れ:そろそろ花の水やりは朝夕2回カシラ

きのうからカゼをひいてシマッタ。典型的な鼻カゼだ。鼻がつまって、ハナミズが出て、ノドがいたくて、セキが出て、そしてひどい頭痛。熱はない。食欲はあいかわらず旺盛。

今朝起きたらかなり寝汗をかいていた。熱がないのに寝汗とは、Tちゃん(超能力者)の言うところの「カラダの毒素が出た」のかな。ううむ、興味深い現象。

トイレに頻繁に行くリエが、ハナミズが出るようになってからあまりトイレに行かなくなった。N先生(度々異次元に行っちゃう調整師)の言うところの「カラダの水分がハナミズにとられてしまう」かな。まめに水を飲むようにする。トイレに行くようになったら、ハナミズが減ってきた。ううむ、興味深い現象。

スキがあると、瞬間的に眠っている。いつでもどこでも、だ。1秒寝て、目覚める。2秒寝て、目覚める。ああ、カラダが睡眠を必要としているぞ。寝不足ではないハズ。でももっとパワーを付けるために、余分な睡眠が必要なんだろうな。それをカラダは分かってて、私の意志とは関係なく、ムリヤリ睡眠を取ろうとしている。ううむ、興味深い現象。

昼間はかなりしんどかったのに、夜むねGバンドの練習をしてたら、随分ラクになった。1番変わったのが呼吸。カラダがラクになると同時に肺がラクになり、呼吸がしやすくなって、深く息が吸えるようになった。そしたらますますカラダがラクになる。しんどい時って呼吸が浅くて、カラダが固くなるんだよな。ドラムって全身にリズムをムリなく通すから、ホントにカラダがラクになるんだ。ううむ、興味深い現象。

そして明日はお休み。夜はむねGバンドでヤキトリ大会じゃ。それを考えるとますますゲンキになってくる。ううむ、興味深い現象。

カラダが調子いいときは全然気にもかけないくせに、こうして労りが必要になると本当にカラダの不思議を痛感する。ニンゲンのカラダってスゴイや。深いや。生物の進化というものに畏敬の念を抱いてしまう。ああ、ニンゲンやっててよかった。

  4月26日(木)晴れ:校内陸上大会日和

土が乾いている植物はぐったりとしていて覇気がない。「ああ、水をやらなくちゃ」と分かる。ぐったりとしていて覇気のない人間は何が足りないんだろう?

  4月25日(水)曇り:土がじゅるくて草むしり日和

出雲大社のおみくじで「仕事関係で思わぬ出費がある」というのを引いたことがある。その数ヶ月後イキナリ海外出張が決まり、まさしく思わぬ出費(しかも多額)にマイッた経験がある。

今年のお正月、出雲大社で引いたおみくじで「金銀財宝手に入る」と出た。以前の例があるし、ホントかなあとちょっとだけ期待。でもどうやって金銀財宝が手に入るというのだ? ふと「宝くじ」の文字が目に入る。でも、おみくじを見て買った宝くじが当たったとしても何だか妙だ。というワケで、あえて何もせずに日々を過ごしていた。そのうち正直そのおみくじのことも忘れかけていた。

そして今日。かなり以前からスッタモンダしていた保険の解約金がついに振り込まれたという通知が来た。ヤッターッ! いくら貰えるんだろ。ワクワクしながら郵便物を開封。おおっ! 思ったより多いぞ。「金銀財宝」ってこのことだったのか。 ちなみに、リエは裕福にはなっていません。「思わぬ出費」の借金がゼロになっただけ。むねGバンドのみなさん、「おごって」とせまっちゃダメだぞー。

  4月24日(火)雨:きのう植えた苗がたくさんの雨を喜んでる

「はい、もしもし」
「さて、私は誰でしょう? 1番、次女のリエ、2番、次女のリエ・・・」
ううむ、クスリともしないぞ。いちいち「はい、はい」と相づちさえ打ってるのだ。昔はこの冗談の通じない父親のことをつまんないと思ったこともあったっけ。

「この間はいい雑誌を送っていただいてどうも」と父親。高校の英語雑誌に私のエッセイが掲載されたんで、それを郵送したんだ。「いやしかし、あなた立派な文を書くねえ。おみそれしましたわ。」「へ? おとーさん、もしかして晩酌でもしてんの?」「イヤイヤ。ウチの娘はこんなにデキがよかったっけって、おかーさんとも話したよ」「あらあら、どーしたの。何事?」「内容も面白いし、切り口もいい。テンポもいいし、驚いたわね。」へー、父親に誉められるなんて、こっちこそビックリだ。

小さい頃病気がち(!)だった私は、精神的にかなり母親に甘えていた。たびたびの通院も母親と一緒。3人姉妹の中で、1番母親を独占していたかもしれない。父親はその頃仕事がかなり忙しく、出張も多かった。小学生の私には理解不能の人物だった。

そんな印象に変化をもたらしたのは、家族で旅行に行った時のことだ。観光客がたくさんいた。私たち家族はバス停でバスを待っていた。ほどなくしてバスが来たのだが、あいにくすでに満員。しかも待っている人も多いため、座れそうもない。おそらく両親は歩き疲れた子ども(私たち)を座らせたいと思っていただろう。私も座りたかった。その時、父親が不思議な行動にでた。バスの後ろにつけて止まった別のバスに向かって歩き出したのだ。「おとーさん、そのバスは違うよ」と言う私の声に対して、「これはきっと臨時便になるよ」と微笑んだ。そして、その言葉通りになった。私たちは1番前に座り、運転士さんの様子を観察しながら、道中を楽しむことになった。その時思ったのだ、「ああ、この人はスゴイや。」

そのうち、小学校を卒業し、中学生となり、社会というものに関心が出てくると、シゴトをしている父親の姿勢や彼の仕事ぶりが理解できるようになってきた。そして「この人はスゴイや」という思いはますます膨らんでいった。(父親を「彼」扱いするのって中っ子の特徴らしいぞ)家庭では仕事の話しを一切しない。それは当時の彼の仕事が非常にデリケートな問題を扱っており、個人の判断や嗜好を越えていたためだろう。個人的な意見は全く口にしなかった。彼自身の考えを聞けたのは、彼が退職した後だった。

一緒に暮らしていたころは、時々父親との議論を楽しんでいた。政治のこと、経済のこと、社会のこと、教育のこと・・・。今でも実家に帰るとどちらともなく質問し始める。このお正月は「学校崩壊」について語り合ったっけ。父親と対等(のつもり)で話しができるようになった自分が嬉しくて誇らしい。(これって息子の心境?)

そんな父親が今夜手放しで誉めてくれたものだから、素直に喜んだ。ああ、いい作品だったんだな。「連休にはそっちに行くよ」と言うと「珍しく今年は3人娘が揃いそうだな。こりゃあ、にぎやかになるわ。」と父親が嬉しそうに言った。親と距離を置くばかりじゃなくて、たまには親孝行しなくちゃーな、と珍しくまっとうなことを思ったひとときだった。

  4月23日(月)晴れ:外は暑〜ッ!中は寒〜ッ!

最近手軽に読める本が増えた気がする。一気に読めるが、読後感が薄い。「琴線にふれる」という言葉が遠くなってきたようだ。文字を読んでいて、映像が想像できない。文字がただ並んでいるだけ。想像力をかき立てられたり、登場人物の背景を推察したりといったお楽しみも少ない。(こういうのって行間の美学っていうのかなあ)

そんな中、久しぶりに良い本に巡り会えた。「停電の夜に」(ジュンパ・ラヒリ著/小川高義訳/新潮社/1900円)だ。著者はベンガル人の両親を持つロンドン生まれの33才の女性。幼少時に渡米し、現在もアメリカ在住である。大学と大学院で修士号3つと博士号を1つ得るという経歴を持つ。この本は短編集なのだが、収録されている「病気の通訳」でオーヘンリー賞を、またこの短編集(デビュー作品)でペン・ヘミングウェイ賞、ニューヨーカー新人賞を、そして昨年4月にはやはりこの短編集で新人作家の短編集としては異例のピューリツァー賞を受賞している。なんとも華々しい新人作家だ。

そんな経歴と受賞歴に興味を持って読み始めたのだが、読み進めていくうち、そんな外野の物々しさが全く気にならなくなってきた。というより、あまりの作品の質の高さ、著者の力量の凄さに、ああ、当然の経緯だなあと、外野のうろたえぶりを素直に納得してしまった。

どの作品においても、特に珍しい場面設定がなされているわけではない。日常に潜むちょっとした出来事を通して人々の感情が揺れ動く様を、見事に表現しているのだ。人間を観察しつくしたかのような視点。でも決して冷的ではなく、人間の弱さやもろさをあたたかく包んでいる。ああ、人間ってなんて哀しい、愛すべき生き物なんだとしみじみ考えさせられる。例えば本のタイトルにもなっている「停電の夜に」は、会話もなくもはや冷え切ってしまっている夫婦が、毎晩停電が起こるという状況の中、 ろうそくの灯を囲みながら1つずつ「告白」をし合うというゲームを始める。何だって今さら「会話」を、といういらだち、そのうち毎晩「告白」を楽しみにするようになっていく心の変化、相手が一体どんな「告白」を持ってくるかという期待と不安、そして驚くべき結末。プロットはたったこれだけだ。しかし、彼女の紡いだ言葉の数々は、この作品を心の襞に入り込むような傑作に仕上げている。

装丁もいいし、紙質も手にしっくりとくる。鞄の中にしのばせておきたい1冊だ。洋書を意識したようなカバーの中身もなかなかクール。今度は原書で彼女の選んだ単語もチェックしてみたい。良書に出会うと、心がゴージャスになったような気になれる。装飾品なら体から外した途端魔法が切れるが、良書の読後感は常に心のなかで輝いている。

  4月22日(日)晴れ:2日酔いのカラダに直射日光がキツイ:こむちんお誕生日オメデトウ!

髪がうるさくてしょうがないので、ヘアカットに行こうと決めた。行きつけの美容院に電話すると、あいにく今日は予約でいっぱいとのこと。でも今日切りたい。(だってうるさすぎ)何軒か聞いてみたが、すべて予約でいっぱいだ。なんでまた今日は混んでんだろ。そのうちあるお店が「カットだけならいいですよ」と応じてくれた。初めてのお店だ。これも何かの縁だろう。どんなお店なんだろ。ちょっとワクワクしながら行ってみることにした。

美容院を変えるというのは恋人を変えるのに等しいと感じるのは私だけだろうか。クセ(性格でも髪質でも)をよく知られているということはたしかに安心だが、同じ美容師からはある程度パターン化された発想(髪型)しか生まれない。(注:いわゆる「カリスマ美容師」は例外と思うが)本当にその型でしか私を表現できないの?とそのパターン以外を求めたくなる日も来るだろう。シャンプーだって、いつもの美容師さんの方法も悪くないが、時にはドキドキした新しい出会いを求めたくなる日も来るだろう。(ってホントか?)

さてさて、今日の美容師さん、お店に入ってきた時の私の印象をインプットしていた。「身長があるから、どんな髪型でも一応大丈夫だけど、髪質からして、あまり伸ばさない方がいいですよ」「顔をもっと出した方がいいと思うんだけど、ボブじゃなくて。縦長のラインより丸いラインを強調した方がいいんじゃないかなあ」「耳の横のラインがちょっと厚いでしょ? うんと段付けて、ワイルドにしちゃっていいですか? お仕事的には大丈夫?」などなど、いろいろなことを話しかけてくる。ふうん、そういう見方もあるのか、と私も興味津々。けっこうざくざくとハサミが入る。 完成形は、ううむ、宇多田ヒカル系か? クールだけどかわいい。おっと髪型のことだぞ、念のため。

最後にちょっとした工夫でできる4パターンの違う髪型を教えてくれ、ムースでの手入れ方法も教えてくれた。「あなたの場合はね、こうやって・・・」とけっこう丁寧。よっしゃ、これならズボラな私でもできそう。最近の美容師さんって、みんなヤリ手だなあ。お客さんの争いだもんかあ。テクとサービスが重要ってことか。「また来よう」って思わせなくちゃいけないんだもんな。さて、この新しい髪型の評判はいかに? こういう時、子どもってとっても正直だからよく分かるんだよなあ。明日の反応を楽しみにしとこうっと。ああ、それにしてもとっても気分転換になった。なんだかニューリエごん。気分を変えて明日からもがんばろうっと。

  4月21日(土)曇り時々雨:京都はけっこう寒い、息が白いよ

午前中の勤務を終え、そのまま車で小郡駅へ。2時34分発の新幹線レールスターに乗り、京都へ向かう。京都駅で待ち合わせていた友人と再会し、今夜泊まるホテルのチェックインを済ませたあと、左京区静市市原町にある「なんど工房」へ。今夜はSHEのワンマンライヴがあるのだ。

SHEはかつて私がXYZというバンドに所属していた時、ここ「なんど工房」で対バンをさせてもらい、知り合った。ドラマーの小村くんとはその後も頻繁にメールのやり取りをしており、今回のワンマンライヴも彼からのメールで知ることとなった。ベースはこの店のオーナー大ちゃん。陶芸家で、素敵な作品を数多く作るだけでなく、家も建てるし、楽器も作る。暖簾だって暖炉だって作る。自由な発想を持つ真の芸術家だ。私が大好きなそして心から尊敬している男性である。ギターはヨシさん。カナダで偶然巡り会ったというギター1本だけを使って、驚くほどいろいろなプレイを聞かせてくれる。普段は大ちゃんの片腕。お店の厨房も仕切ることがある。男気のある男臭い(と言ったら本人は「えっ俺って臭いの?」と怪訝な顔をしてた)魅力的な人だ。キーボードとピアノは前滝さん。バンドのほとんどの曲を手掛けている。頭が良くてテクニックも最高。ついでに笑顔も最高、ダジャレも最高。今回からライヴの中の曲をCDーRに落として販売するという企画ができたが、そのCDーRはどうやら彼が焼くことになるらしい。バンドの要だ。そしてそして、ボーカルは人形大好き、天然ボケ(失礼)がかわいいユミちゃん。永遠のアイドル。いくつになってもとっても愛らしい。涼やかな透明感のある歌声が魅力だ。バンドになくてはならない存在。おっと、言い忘れていたドラムの小村くん。「TRASH」のドラマーでもあるといえば分かる人は分かるだろう。スタジオワークもこなすプロドラマー。でも話してみるとフツーのにいちゃん。「好きなモノは?」の問いに「おねいちゃん!」と即答するけど、実はドラムのことについて語り始めると止まらないという誠実派。いつもお世話になってます。感謝!

演奏は1部と2部の2部構成。でもアンコールあり、リクエストあり、リエ混じってのセッション(?)ありで、時間が来て帰るお客さんを後目に、出演者&常連客の 大パーティってカンジ。最後は飲みながらお喋り。りえお店を出たのがなんと午前4時!それでもまだSHEのメンバーは全員ゲンキに飲んでた。ううむ、おそるべし。

「なんど工房」はとっても素敵なところだ。お店のたたずまい(大ちゃんが建てたんだもの)や使われている食器(大ちゃんが作ったんだもの)、置かれている楽器群(超一流なモノばかり:たとえばドラムセットはソナーです)などなど、ハード面が素敵なことは言うまでもないが、そこに集まってくる人々もまた、それはそれは素敵なのだ。「粋」という言葉がピッタリの本当の大人たちがここにはいる。ニセモノにごまかされない、本当の意味で価値のあるものを知っている大人たちがいる。大枚はたいて海外旅行をして自分を見つけようとするより、ここ「なんど工房」でここにいる人たちと語ることのほうがよっぽど、自分探しの手段になる。たった半日いただけなのに、本当にたくさんのことを得たし、いろいろなことを考えることができた。

1番心に染みた言葉。小村君が「実は今までずっと聞きたかったんだけど・・・」と切り出した。「マスター(大ちゃん)は器を作るとき、どんなことを考えてるんですか? 例えば、器って食べ物を盛るじゃないですか。盛られる食べ物のことを考えて作らはるんですか?」すると大ちゃんが平然とこう言った。「そんなん、当たり前やろ。食べ物のことを引き算して作るで。器だけで100%のものを作ると、食べ物盛った時、強おなってしまうんや。相手にキツくなるんや。100%のところを60%とか70%にしといて初めて、食べ物とコミュニケーションが取れるようになるんや。音楽かて一緒やんか。100%出すとお客さんはキツうなってしまうやろ。他の楽器とコミュニケーションできるよう、100%出さずにあえて70%なんや。」ううむ。これにはマイッタ。100%出せるなら出すのがキモチよかった。しかしこれじゃあ、たしかに相手にはキツいぞ。100%出すのは自己満足か。いずれにせよ、含蓄大。ちなみに大ちゃんの作品は高額で取引されている。ハンパな作品は作らないのだ。

今回はたった1泊で、明日すぐに帰らなければならない。(あさってシゴトだもん) なんだかとってもいろいろなことを考えた。いろんなアイディアをもらった。時には生活場所を離れて、懐かしい友人たちに会うのも本当にいいと痛感した1日だった。

  4月20日(金)曇り:一雨きたら車がキレイになるのになあ

むねGバンドの練習日。ナント久しぶりにドラムを叩いたのだ。だって最近アコースティックのライヴが続いたんで、ずっとジェンベだったんだもん。いやしかし、キモチイイったらありゃしないってえもんよっ! ドラムってええわあ。ピカピカ光ってて(シンバルとかリムとかさあ)、叩くモノいっぱいあって、音でっかくて。スネアをパアンッと打った時の感触や出てきた音ってさあ、マジでゾクゾクするぞ。ハイハットのチッていう音の歯切れ良さもイカスし、タムのドウウンって音も心臓に来る。バスドラ踏んだときの感触なんて、たとえるモノないし、シンバルしゃあんって叩いた時の晴れやかさ! いやあ、ほんとにスケールのでかい楽器じゃ。

しかしエレクトリック久々だったんで、メンバーも疲労の色を隠せませぬ。1時間くらいやったとこで休憩。リエも右足スネと右腕がダルくなった。こういうパーツの筋肉を使ってたんだなあ。(しみじみ)

アコースティックだけじゃなくて、エレクトリックの方ももっともっとライヴしたいぞ。こりゃ、メンバーで宣伝活動せねば?

  4月19日(木)晴れ:外は暑い!!

終わったことをあれこれ思い悩んで後悔しても、その瞬間が再現されるワケではないし、どうしようもないことだ。そんな時間と労力があるんなら、これからどうしていけばよいかを考えた方が絶対有意義。過去を思うことによって過去を変えることはできないが、未来を思うことによって過去を変えることはできるんだから。

  4月18日(水)曇りのち晴:花の色が鮮やか

右目に激痛が走って、布団から飛び起きた。まだ真っ暗だ。時計を見る。午前4時。睫毛でも入ったのかな。涙をぽろぽろと流しながら、鏡に向かい、右目を観察する。が、何もない。しかしものすごい激痛だぞ。こんな痛みは生まれて初めてだ。まぶたのウラの奥かもしれない。よおく観察する。しかし、何も見あたらない。気のせいか? いやしかし、この痛みはタダゴトではないぞ。も、もしや「モノモライ」ができる瞬間なのか? 何もないのに、目の中に、確かに異物感がある。ううむ。

痛いが、眠い。どうしよう。このまま起きていて、病院へ行こうか。しかし眠いぞ。そのうち激痛にも慣れてきて、眠気の方が勝ってしまった。まあ、いいや。痛かったらまた目が覚めるだろう。

目覚ましの音で目が覚めた。午前6時。右目は全く痛くない。

明け方再び寝る前にしたことって何だったっけ。ああ、思い出した。夜寝る前、「明日しなければならないこと」があまりにもたくさんあって、へこみそうだったんだ。私にできるのか?って少し不安になってた。でもやらなくちゃ。そう言い聞かせて寝付いた。明け方目が覚めて、やっぱり負担を感じてる自分に「やっぱしんどいじゃんか。気のせいじゃないよ。あんたいたしいんだよ。」と気付いたんだ。何でも納得するまでしないと気が済まない性分が災いして、どんどん負荷が重たくなってた。でもテキトーにお茶を濁すのがイヤだった。どうにもならなくなってたんだよなあ。それに気が付いたんだ。ただそれだけ。

昔から疲労が溜まると「モノモライ」ができてた。昨夜もできかけてたんだけど、自分が疲労してることに気付いて、引っ込んだのか? 妙だけど、そうとしか思えないんだよなあ。「しなければならないこと」は全く減らないんだけど、「ツライことはツライ」と自覚しただけで、ちょっと気がラクになったってことかな。何でも「気付く」ことが大切なのかもしれないな。それだけで、世界が大きく変わるのかもしれない。

「寝汗」や「じんましん」はカラダが毒素を出そうとしている良い傾向と教えてくれたのはTちゃんだ。「モノモライ」もそうなのかもね。

  4月17日(火)晴のち曇り:おいしそうな鰯を買った

教室の鍵と英語の教科書を持って、病院に入る。患者さんたちの間をスタスタとすり抜ける。エレベーターに乗り、7階のボタンを押す。病棟は6階までしかない。7階へは、特別なエレベーターでしか行くことができないようになっている。エレベーターの扉が開いた。ガランとしたフロア。「人間ドック受付」「糖尿病検査受付」等の表示に混じって、目的地の表示が見えた。「院内学級」だ。

長期入院の児童生徒に勉強の機会を保障するために設置された教室である。所属は私の勤務中学校になっているため、この学級へ通うには転校の手続きが必要となる。入院中だけの転校だ。午前2時間、午後2時間の勉強時間。この教室で勉強している間は、当たり前だが机に着き、教科書を広げる。普通の授業風景と変わらない。ただ唯一異なるのは、生徒が病院服を着ているという点だろう。

私自身、小学生の頃、1ヶ月以上の長期入院をした経験を持っている。ただ、夏休み中だったため、院内学級へ通う機会はなかった。もっとも、そのような学級が当時その病院に存在していたのかは分からないが。毎日自分が何をして過ごしていたのか、今となっては全く思い出すことができない。しかし、入院中に覚えた様々な折り紙の作り方は、いまだに忘れずにしっかりと覚えている。自分が入院していたという事実は忘れても、指はその日々の存在をたしかに記憶しているようだ。

「じゃあ、今日はこれで終わりね。」「先生、ありがとうございました。」「お疲れさま。これから病室に戻って何するの?」「う〜ん、ゲームかなあ。」そんな会話を交わしながら、「院内学級」の扉を閉めた。

  4月16日(月)晴れ:だんだん風が収まってきた

常に第一線で活躍している人というのは、天才でも特別な才能を持っている人でもなく、常に努力し続けている人なのだろう。自分自身が納得するまでやっていたある日、ふと自分が人の前を走っていることに気付く。その日から、今度は自分のためだけでなく、人の前を走る者としての自覚と責任を持って走り始めるのだろう。人の前を走ることは時に、孤独で辛い。しかし、先導者としての誇りと歓びが支えとなるだろう。後に続くしかない人には決して分からない種類の孤独と歓びだ。

それでも、自分の進みたい方向を外さなければ、歓びを持って日々を過ごせる。追随する他者を意識しすぎると、孤独の迷路に迷い込むことになる。

「人なんて関係ない」とは先導者として無責任だし、「あるべき方向は」だと説教じみて誰もついて行かなくなる。結局センスとバランスが大切なのかもしれない。そして自分の言動を客観的に捉えられる視点も。

  4月15日(日)晴れ:お祭り日和

先日衛星放送でオンエアされた「大村憲司トリビュートライヴ」の録画ビデオが手に入った。観客一人ひとりのコメントが大変しっかりしていたこと、大貫妙子がサラリと「聞いててよ(ケンジ)、どうせどっかにいるんでしょ」と当たり前のようにステージで言い、周囲も当たり前のこととして捉えていたこと、息子の大村真司の指が本当にお父さんそっくりだったこと、など、驚かされることが多かった。しかし、1番驚かされたことは、出演者たちの姿だった。

フュージョン全盛期のころドラムを始めた私は、かなりその時代のプレイヤーたちの演奏を見、聞いていた。渡辺香津美、村上秀一、矢野顕子、CHAR、小原礼・・・。そんな彼らの映像は今も大切に取っていて、時々取り出しては見ている。(1番よく見るのは「ザ・レコーディング」って番組のビデオかな)いつまでも彼らは変わらず私のアイドルだった。ああ、しかし。当たり前だが、年月は確実にたっていたんだなあ。少し歳を取った彼らを見、若々しい大村真司を見、時代の流れを痛感してしまった。

彼らだけが歳を取るはずはなく、当然私にも同じ年月が流れたはずだ。ふと本棚を見やる。このシゴトを始めてから、本を買いだした。それがなんとも溜まったなあ。雑誌なんて数年分が本棚を占領している。「今の自分に必要な本」だけをピックアップしていったら、本棚が拍子抜けするほどスッキリとしてしまった。

1日1日を精一杯生きていると、そんな1日がどれくらい積み重なっているのか見えなくなる。毎日の生活に全力を注ぐのもいいが、時にはこうして不要になったものをそぎ落とさないと、身動きが取れなくなってしまうな。憲司さんのビデオを見て掃除するなんて予想もしてなかったけど、自分の人生をもう一度整理しなさいという彼からのメッセージだったのかもしれない。

  4月14日(土)晴れ:強風で鉢が吹っ飛んでた

きのうの「ヤキニク」に続き、癒し系週末の正しい過ごし方として「温泉」に行ったのだ。山口県田万川町にある「田万川温泉」。山口県と言っても、ここは島根・山口の県境の街なんで、車で20分くらい。オンガク聞きながら右手に日本海の海岸線を楽しみながらドライヴしてたら、あっという間に着くんだな、これが。

田万川温泉はタオル・シャンプー・リンス・石鹸付きで大人400円。無料の休憩所もある。お風呂場は、ジャグジー(っていうの?)のある大浴槽と、外に露天風呂。なかなかによいのだ。子どもからお年寄りまでいろんな人が利用してる。湯上がりには食堂でビールを一杯てなことも出来る。至れり尽くせりじゃ。

それはそうと、温泉に行くとどーしても他の人のカラダ見ない? って言うかその気なくても見えるんだけど。リエは自称オンナだが、やっぱ女性のカラダは気になる。(エッチな意味じゃないぞ!!)お婆さんのくたびれたカラダからは生活の年輪を感じるし、お母さんからは出産の苦労が伺えるし。若い人がピチピチしてるのはアタリマエ。お年頃の女の子が必死で隠しながら入ってるのを見ると、ほほえましくなる。

でもさあ、年齢関係なく、潔い人はカッコイイと思う。脱衣所でコソコソしてる人は、なんだか貧相に思える。別にいいじゃん。パンツのお尻に絵が付いてたって。胸が貧弱だって。コルセットやガードルばりばりに付けてたって。自分に誇りを持って欲しいな。自分の生き方を胸張って主張して欲しい。あと、「潔い」って言っても、ハダカでスタスタ歩くのが「潔い」じゃないからねー。(それもアリだけど)上品そうなお婆さんがタオルを上手に使いながら歩いてるのを見ると、「品位」とか「たしなみ」とかいう美しい日本文化を再確認する。日本の「隠す」文化も、使い方によって品位ある文化になるんだよね。

そんなことを思いながら、温泉を楽しむリエでした。お肌スベスベ。400円だったら、食費削っても時々来てもいいか。午後9時まで営業。また来ようっと。

  4月13日(金)晴れ:外はぽかぽか

同僚誘って、生ビールとヤキニク。ジョッキで3杯飲んで、ロース・カルビー・タン塩たらふくいただいて、大満足!!あ〜、おいしかった! 至福の時でした。この1週間メチャクチャ忙しくて、首が360℃回転してたんで、やっと人間らしい時間が持てたってカンジ。みんなでヤレヤレ、オツカレサンと自分をいたわったの巻。

ハシゴしたあと、最後に定番のお茶漬け屋さんへ。いつも酔ってドロドロになってから行くんだけど、そんな状態でもスゴクおいしいお茶漬け。今日レシピを聞いてビックリ! すごいこだわってたんだなあ。ウニ丼なんかも絶品なんだよねえ。(昼食に食べたいくらい:でも営業は夕方から)今度は夕方からじっくり来ようっと。カウンターのお魚もイキがよくて美味しいそう。「お茶漬け屋さん」って思ってて失礼しました。極上の「旬のお魚を扱う小料理屋さん」だったのね。いつもドロドロだったんで、気が付かなかったぞ。ううむ。

「仲間」と集うっていいねえ。「オンガク仲間」は音楽について熱く語りまくりなんだけどさ、「シゴト仲間」って苦楽を共にしてる同朋っていうか、戦友っていうか、なんだか独特の連帯感があるんだなあ。(私だけ?)みなさん、ホントお疲れさま〜。来週からもお互いがんばろうね。

  4月12日(木)雨のち曇り夜は星空:やっぱり桜が終わっちゃった

なければ自分で作るしかないっていうのが鉄則だよなあ。その昔、モノが十分なかった時代の人々の「自分で作る/作ろうとする力」ってすごかったんだろうな。今は大抵のモノが手に入るから、それが自分の本当に欲しかったモノかどうかを敏感に察知できる力を養っとかないと、妥協する力ばっかり付いちゃうだろうね。

私がどうしても妥協できなくて、何とか本当に欲しいモノを現物化しようとしてるのは、今のところ2品。お菓子とパスタだ。あとは大抵満足の品を手に入れられるんだけど。お金さえ出せば、ね。でもこの2品に限っては、なかなか思うような品に当たらない。

だもんで、自分で作る。今日はパスタ。う〜ん、でもまだイマイチ違うんだよなあ。 自分で作るよさは、こうして自分の思う味に近づこうとチャレンジできることだ。いつか、自分の思うような理想のパスタが食べれますように。お菓子だってまだまだ。だから作り続けるんだろうね。文字通り「納得いくまで」の世界だ、こりゃ。

食べ物に限らず、自分が理想とするものをできるだけ具体的にイメージすることって、とても大切だと思う。具体的に感覚がつかめたら、もう叶えられたも同然。そこから実際に作ることは、そう難しくないと思うんだよな。料理でも、音楽でも、仕事でも、何でも同じ。目標となるものをできるだけ具体的にイメージすること。成功の秘訣はここだろうと思う。

  4月11日(水)晴れのち夜雨:これで桜散っちゃうかな〜

「オールディーズゴールデンベスト」なるアヤシゲなタイトルのCDを買った。しゅうちゃんがやってる生協で安くなってたんだ。18曲も入ってるオトク版だったんで、ハズレでも授業で使えそうだし、まいっか、てな気楽さで買ってみた。

それがさ、ハズレどころかチョーアタリ版!「スタンド・バイ・ミー」(ベン・イー・キング)、「オトコがオンナを愛するとき」(パーシー・スレッジ)、「青い影」(プロコム・ハルム)などなど、ホンモノが歌ってんの。(安いCDの場合、時々モノマネ歌手版が存在する:コワ〜)18曲目は「この素晴らしき世界」(ルイ・アームストロング)! いいね〜。

オールディーズってさ、音もアレンジもチープだから、昔はゼンゼン興味なかったんだ。古くさ〜ってカンジでさ。それが今、ココロに染み入ってくるってのは、単に年をとったからってんじゃなくて、「イイモノ」を理解できる成熟さを持ててきたってことだろうなあ。聞きながら「ク〜ッ」ってカンジ。イイモノはやっぱ時代が変わっても残る。そして、時代が変わっても、その時代の人々を感動させるんだろうな。

今流れてるのは「夢のカリフォルニア」(ママス&パパス)。うへえ。このくたびれたボーカルがいいわ〜。バックの演奏も信じられん程チープ! いいね〜。何だかビールが飲みたくなってきちゃった。

TPCD2001/輸入CD/『オールディーズ』ゴールデン・ベスト VOL.1

  4月10日(火)晴れ:入学式日和

議論を戦わせた相手が「リエさんって絶対独身ってカンジだよね〜。だって結婚しそうにないもん。」と言うんで「あら、前はしてたよ」と返したら絶句してた。う〜ん、イメージって不思議。

お弁当やらケーキやらをこまめに作るリエに、「リエさんをお嫁さんに欲しいなあ」と言う人もいる。自分が食べたいから作るだけなんだけど。私の行為に相手は不在なんだけど。イメージって不思議。

イメージってさ、自分の価値観が作り出したフィルターを通した「思い込み」じゃんか。勝手にイメージを植え付けるのも好き。そのイメージを壊すことで、その人のフィルターをも壊すのも好き。ちょっと意地クソ悪い? でもイメージのクダラナサにも気づいて欲しいな。イメージなんてさ、振り回されるモノじゃなくて、弄ぶモノだと思うぞ。

  4月9日(月)晴れ時々曇り:ますます桜吹雪

最近おべんとに凝っている。食べるものを持ってると思うとホクホクして、余裕が出てくるからフシギ。毎日お昼が楽しみなのだ。作りながらツマミグイをしたくなるけど、がまんがまん。このがまんがまたいい。

きのうはおにぎり弁当。今日は自家製パン弁当。おにぎりは竹を編んで作られた専用のおにぎり入れに入れる。パンの時は、オーストラリアのスーパーマーケットで買ったスペシャルランチボックスだ。カタチから入るのもお弁当の醍醐味。

おべんと作るのにかかる時間は、たいてい5分。長くても10分以内。朝のせわしない時には結構ギリギリの時間だ。下ごしらえは、前の晩にやっとく。これだけでもカナリ助かる。

明後日から給食だから、明日がとりあえず最後のおべんと。明日は何詰めてこうかな。気張らなくていい。栄養のバランスなんてカンケーない。食べたいモノがつまった、ちょっとした自分へのプレゼント。

  4月8日(日)晴れ時々曇り:桜吹雪

花を持ってガッコウへ行った。玄関のガラス戸を閉めた途端、練習試合で来ていた他校のサッカー部員がそのガラスをどんどんと叩いた。暴れん坊かな、と思って振り向いたら「花が落ちましたよー!」とおっきな男の子がニコニコしながら叫んでた。その男の子の口からあまりにも無防備に「花」って言葉が出てきて、オトナのオンナ(私のことじゃ)として、何だか嬉しくなっちゃった。ココロがあったかくなった一こま。

ジェンベとおにぎりとオヤツに水筒を持って山に出かけた。山は今まさに桜が満開。こぼれ落ちないよう木にしがみついてるってカンジだ。桜を見ながらおにぎりをほおばる。

タクマから電話があって、今からバイクで出かけるという。「ねえさんはまだ買わんの?」と言われ、ムズムズ。思わずバイク屋にカタログあさりに行ってシマッタ。今度は250くらいの気軽に乗れるのがいいな。単気筒もいいかも。革ジャン着て温泉行きたいな。

明日から新学期。また秒単位でせわしなく動く日常が始まる。その前の、ちょっとノンビリした1日。まだ寝るには早いな。シアターブルックでも聞きながら、アップルパイ作ろうっと。

  4月7日(土)とっても晴れ:夜は朧月夜

朝目が覚めてスッキリしている自分にビックリ。そう言えば、いつもそうだな。初めはモヤモヤと何だか生活に違和感があって、その原因がハッキリ言語化できたとたん、そのモヤモヤがなくなっちゃう。喋り言葉でも書き言葉でも言語化するって、情報を整理するって意味で大切なんだなあ。

モヤモヤがなくなったとたん、パワーアップなのだ。何て言うか、自分がまた一層見えるようになったって言うかなあ。自分がどこに向かっているか、とか、何をしようとしているのか、とかが、パアッとハッキリしたってカンジ。視界がクリアになった。取りあえず迷いがなくなったから、後は走るだけってカンジかな。(これぞ射手座の特徴?)

今夜はむねGバンドのアコースティックライヴ@喫茶ヨシタケ。3回目ってことで、進行や演奏もリラックスしてきて、とってもスムーズ。特にむねGはかなりゴキゲン。「こんなにリラックスした良いライヴは初めてかも」って言うから、「アキラさんとともさんがいないからじゃない?」って言ったら、絶句してしまった。やはりそうだったか?

マリちゃん(V)の歌もカナリよかった。隣りでジェンベ叩いてて、りえトースイの巻。めちゃくちゃ気持ちヨカッタ〜。演奏してるとさ、曲の中に入ってるじゃん。(あたりまえか)チョーキモチいいの。ウットリしちゃったよ。マリくん、次回もヨロシクね〜。英ちゃんも忙しいのに来てくれてありがとう。何だかサワヤカな好青年ってカンジだったんで、ビックリしたけど、よおく考えたら、いつも英ちゃんに会う時って、英ちゃん酔ってベロベロじゃんか。単純に酔ってない英ちゃんが初めてってコトだったかも。でもそれだけじゃなくてさ、労働&その後の温泉で、よけいすがすがしかったのかもね。ノリコちゃんもトモコちゃんも、マガリンもタクマもホントありがとう。コージローさんって見かけコワイけど、やっぱいい人だー。イキナリ出演頼んだのに、快く(?)引き受けてくれて感謝感激。このお礼はいずれまた。(ってホントか?)イー坊師匠とオーカさん(もう実名で登場:いいのよ、この土地にこの名字って多いから:でも分かる人にはバレバレ)もトツゼンの「健康フェアバンド」再結成サンクス。りえ混ざれてラッキー。(実は加入希望)そしてそして、ちーさん(オーナー)いつもありがとう。これからもヨロシク!

素敵な仲間たちに囲まれて、ホント幸せだよ。この土地に住めてホントにラッキーだったって思ってる。そんな仲間たちと、この土地でオンガクができて、私ってば何て贅沢な暮らしをしてるんだろ。今の自分が大切にしたいのは、たくさんの本でも洋服でもない。アクセサリーやブランド品でもない。名誉や役職でももちろんない。ふ〜、見失わずに済んで、ホントによかった。気が付いて、ホントによかった。

  4月6日(金)とっても晴れ:屋内にいるのがモッタイナイよお〜

「よむよむ」を書くのが怖いと、最近少しずつ感じている。こんな感情は初めてだ。もっと詳しく説明すると、「文章を書く怖さ」と「私日記をHPで公にする怖さ」がようやく分かってきたとも言える。特に今月に入ってからその思いが強くなってきたように思う。

「言葉」の持つ力はある程度知っているつもりだ。たった一言で信頼を失ったり相手を変えたりする事例をみる機会が多いせいかもしれない。「何気なさ」の中に潜む「潜在意識」の追求も体験したと思っている。無限に存在する言葉の組み合わせの中で、何をどう組み合わせてその人なりの「言葉」を作り出すのかといったことに興味もある。その人の性格がある程度推測できるからだ。ということは、反対に、自分のキャラが私が紡ぐ文章で推測されることを恐れているのだろうか。今まではそんなことはなかった。知ってもらえる方が嬉しかった。では、今私に何が起きているのだろうか。自分の中で何かが確実に変化しつつあるということか。それとも、自分の立場が自覚されてきて、その責任の重さに恐れを感じているのか。ううむ。

日記をアップするのは、「私にとって今日という日はこんなだったけど、これを読んでるアナタはどんな1日を過ごしたの?」というように、自分のことを述べつつも、実は読み手に読み手自身の今日を振り返って欲しかった。または、最近ご無沙汰の知人や家族に私の近況を知らせたかった。読み手はほんの身内だけだろうと思っていたのだ。ところが、幸か不幸か、予想以上の数の人たちに読まれることになり、予想外の人たちにも読まれることになった。プライベートな出来事をどこまで載せてよいものかと思案するようになったのだ。私の日常にはさまざまな人が登場してくる。できるだけ支障のないような方法で名前を出しているが、当然分かる人には分かるだろう。反対に名前がない時は「この前のアレって誰だったの?」と勘ぐられることになる。どうにも息苦しい。考えがあまかったかな。

今月に入って特に苦しいと自覚されるようになったのは、自分自身が囚われている事柄によって意識がより自分の内面へと向かっているからかもしれない。「楽しかったこと」を話題に選ぶとそんなに浮かれていない自分とのギャップを感じるし、「素のまま」の自分について語ると、HPの話題としては不適当になる。難しいな。さまざまな要因のために「脳天気なリエゴン」で居続けられない現実と、折り合いをつけようと、今格闘しているのかもしれない。あれだけ好きではなかった「化粧」を「なくてもよいことをあえてする余剰の楽しさ」みたいなモノと認識するようになってきたと思えば、欠かさず塗ってたシャネルのマニキュアが不健康に見えてきちゃうし。どう自分と折り合いをつけるか、ホントに迷ってるんだろうな。

最近詩集が妙に心に染みいる。特にハマッているのが「寺山修司」。一遍一遍がズンズン心の中に入ってきて、溜息の連続。とてもじゃないけど、さぁっとは読めない。ストーブのしゅんしゅんいう音や、時計のかちかちいう音がとても似合う。自分の部屋をざあっと眺めて、ああモノが多くなりすぎたな、と感じる。テレビのスイッチを付けて、視覚に偏った情報の提供方法に怖さを感じて、慌ててスイッチを切る。観葉植物がじいっと私の方に意識を向けているようだ。カラカラに乾いた植物は覇気がない。とりとめもなく、いろんなことを咄嗟に考える。まさしく自分自身と格闘してるな。

たくさん混乱して、そのあとアタマがすうっとしてくるのだろう。その時、どんな自分が生まれているのか待つとしよう。

  4月5日(木)晴れ:外の方があったかいよ

今日も残業。新学期前に疲れてどうする!?って気もするけど、しょーがないのだ。 今日は午前中に作業。机数えたり、教室を雑巾掛けしたり、教科書数えたり。でもって、おべんと食べながら会議、食べ終わって別の会議、そのあとまた別の会議、でもって会議。またまた会議。そのあとも会議。うへえ。新学期までに決めておくことたくさん、確認しておくことたくさん。毎日誰かに「ええっ! センセーって春休みじゃないの!?」って言われるんだけどさあ、ホントに忙しいんだぞ。

カナリ遅くなりそうだったんで、ちーさんとこ(喫茶ヨシタケ)で夕飯食べて、もう一息ふんばろーって思って行ったら、アヤシゲな客が1人。イー坊師匠(何でも屋)であった。こないだジェンベ3つめを買ったんで(「よむよむ」3月31日)、1つちーさんに貸してあげようと持ってきたらしい。大はしゃぎのちーさんなのであった。

ジェンベの話しや、イー坊師匠がやってる神社の楽師の話し、ライヴにおけるファッションについてのお話しなどなど、リエはヨシタケ丼、イー坊はコーヒー飲みながらおしゃべり。厨房の手があいたちーさんも一緒におしゃべり。あースゴイ気分転換になった。みんなさあ、シゴトのあとで(ちーさんはシゴト中か)疲れてるハズなのに、そんなこと全く出さないの。イー坊「シゴトってのはキリがないからねえ、どっかでキリつけなくちゃ」とサラリ。大体さ、何かがとってもできる人って、「どうやってやるか」っていう物事のコツが見える人だから、何してもできるじゃんか。きっとイー坊はシゴトもたくさんしてんだろうなあ。そんなこと全然言わないけどね。

お腹もココロも満足して帰宅。なあんか、あせることないよなと納得。ちょっと忙しすぎてすさんでたかも。「忙しい」って「ココロを亡くす」とはよく言ったもんだ。気を付けようっと。バサバサと強烈に溜まった会議の資料を分類しながら、ちょっと 余裕が出てきた自分に気が付いた。さてと、明日の会議用の資料作ろうっと。徹夜になっても、まあいいさ。あせらず、ノンビリいこうっと。

  4月4日(水)晴れ:きもちいい天気

むねGがアコースティックバンドで今後やってみたい曲をMDに入れてくれた。これがなかなかにヨイ。"Tennessee Waltz"、"Give Me One Reason"などなど全部で11曲あるのだが、脱力したブルージーなハーモニカや歌声が、青い空や、桃色の桜の木、疲労気味の脳味噌やカラダにふわりと被さってくる。気温もぽかぽかと心地よく、かなりゴキゲンになって鼻歌なんぞまで出てくる。

そういえば、ブルースって青い空の下での労働歌だったってむねGが言ってたっけ。つくづくよくできてるなあ。

  4月3日(火)晴れ:日陰はちょっと寒いか

仕事で抱えるものが年々増えてきた。それでも心身ともに健康に毎日が過ごせるのは、なぜだろう。ジェンベ1つを積んだ車で、紫色に黄昏ている空に向かって車を走らせながら、なんだかフラリと旅をしている途中のような開放感を覚えた。

家族や居住まいなど、大切なものがぐんぐん増えていって、身動きが取れないような圧迫感を持ったとしても、こんなふうに心の持ち方ひとつで、すぐに一人旅に出ることができるのかもしれない。たとえほんの数分でも、たとえ近所でも、異なった視点で空間を見、その中の自分を創造することで、人間は簡単に別世界へ行けるような気がした。

  4月2日(月)晴れ:南風が暖かい

嬉しいメールをいただいた。

『こんにちわ! 私は「よむよむ」を毎日楽しみに読んでいる、某いちファンです。
(省略)
「よむよむ」を読むようになって 何か解らないドクトクな雰囲気(奥が深いと言うか?)に 入ってしまう自分が楽しくなり、はまってしまったようです。 私なりに噛み潰して読んでいるうち、 ここ最近の生活感が変わってきているのに気がつきました。
毎日、何気なく時間だけが過ぎていた今日この頃が、 一日に起こる一つ々の場面・出来事を大事にし、楽しんで いかないといけないんだと思うようになりました。 そして、目の前で過ぎて行く生活がまさに筋書きのないドラマの ように見えてきたりする訳です。
(省略)
先生という仕事は、大変だと思いますが、 「よむよむ」も、ずっと書き続けて下さい。応援してます!』

(転写については本人にメールで承諾を得てあります)

音を紡ぐという行為にしろ、文を紡ぐという行為にしろ、自分が今まで生きてきたなかで培われた何らかのフィルターを通して行われるわけだが、そんな自己満足のような行為とも思えることが、他のものへ影響を与えているということが実感でき、単純に驚いた。このようにダイレクトに反応があると、素直に嬉しいし、襟元を正されるような思いも抱く。

「よむよむ」は、毎日の生活の中で、どれだけ、そして何を自分が捉えられるかということを鍛える意図でスタートした。何の変哲もない毎日にだって、感動が必ずあり、心を動かされることが必ずある。それを見逃さない眼を培いたかった。私自身、「よむよむ」を始めてから、日常の中にふんだんに存在する様々な出来事をはっきりと認知するようになったし、そんなたくさんの中からたった1つのテーマだけを選ぶことにジレンマとも言える喜びを持つようになった。

毎日はドラマである。そして一人ひとりがその主人公である。自分を取り巻く生を大切にし、楽しみを持って日々を過ごすことで、私たちはどんどん豊かになっていけるのではないだろうか。

  4月1日(日)曇りのち晴れ:風は冷たいけどお天気で気持ちイイ

「あ、岩国だって。錦帯橋(きんたいきょう)って知ってます? 一度行ってみたかったんだなあ。」この一言が、その後に続く、長い長いドライヴの引き金になってしまった。今日は近場をドライヴするだけの予定だったのに。ま、いっか。天気はよいし、ガソリンだって満タン。コーヒーはポットにまだまだいっぱい入ってる。「じゃあ、行ってみよっか。」 表示をたよりに錦帯橋へと向かった。

木造建築の美と、桜の美しさに目を奪われた。人間ってスゴイ。自然が作り出す色もスゴイ。その調和もスゴイ。いい心の洗濯になった。ちなみに私、ここに以前来たことがあるような気がするんだよなあ。でもよく思い出せない。思い出せないってことは、意識の中に十分入ってなかったってことだから、実質今日初めて来たようなもんか。全く人間には何かが自分の中にスッと入ってくる「その時」ってものが確実にあるんだよなあ。

 

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