益田市立
益田小学校
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七尾城は、中世400年にわたり西石見に勢力を誇った益田氏歴代の居城でした。最も高い本丸跡をはじめとして大小40あまりの平らな曲輪があり、要所には堀切や枡形虎口、畝状空などを堀群設けた、県下屈指の堅城でした。現在でも、曲輪や敵の侵入を防ぐ堀切(尾根を断ち切った空堀)、土塁、馬釣井とよばれる石積みの井戸跡が残り、当時の姿を良くとどめています。
(写真は本丸跡)
この井戸は馬釣井といい中世特有の円形の割石積の井戸です。
直径1.2m 深さ4.5m あり七尾城唯一の井戸でした。
本城にはこれ以外に二箇所の貯水濠があり、重要な飲料水源だったと思われます。
(写真は馬釣井)
益田市の祖、藤原定通(国兼)は、藤原鎌足の子孫と言われ、国司として石見上府に赴任し、任期終了後も都に帰らず土着しました。
ひ孫の兼高(益田氏を最初に名乗った人)は、源平合戦で武功をたて、建久3年(1192年)、上府からこの益田の地に本拠を移し、翌年七尾城をたてました。
(写真は住吉神社・鳥居)
この山の中腹に建つ住吉神社は、七尾城の築城とともに上府から一の丸に移された神社であり、現在の社殿は寛文4年(1664年)改築されたものです。
七尾城の大手門は、現在医光寺の総門として移築され、当時の姿を今に伝える唯一の建造物です。
(写真は住吉神社・本堂)