波子の波乗り史

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Hamada Board Sailing Clubの頃
ご多分にもれず波子でもボードセイリングクラブを結成し、そのころ浜田市内
にあったCircusという店にたむろし始めたのが1982年頃だったかなあと思
います。それでも会員は20人はいたでしょうか。みんな今頃どうしているの
かなあ..
 そのクラブの主催でボードセイリングスクールや第1回波子ファンボードコ
ンテストなるものを開催したのが、1983年でした。
以下は雑誌社に送ったコンテストのレポート原稿。
ウインドの雑誌の最後のほうに掲載してもらったものの原文です。今でもそう
ですが、下手な文章で目一杯気負っているのが恥ずかしいのですが・・  
    
    
    
    

 10月9日島根県江津市波子において第1回波子ファンボードコンテストが行われた。

    
    
    
    
この大会、最初は山陰と山陽のコミュニケイトを図る目的で小さくてもいいからローカルのファンボード
コンテストをと企画したものだが、案内を送ると同時に各地から積極的に参加申し込みがあり、結局岡山
県4名広島1名鳥取3名島根8名山口9名北九州7名長崎県対馬より1名さらに大阪からサーフアンリミ
テッドの荻野添英氏もみえて、あれよあれよと思ううち西日本ファンボードカップとなってしまったとい
うわけである。
    
    
    
    
それだけレガッタなどどこ吹く風といったファンボーダーが各地で増えており、純粋に腕くらべの場を
求めているというのが現状であるようだ。これからはレースよりむしろファンボードコンテストのほう
がローカル大会として盛んになって行くのではないかという予感が強くした。
  大会当日は、風が7から9m/sであまり上がらないままうねりばかり大きく、遠く沖合からブレイク
してくるラフなコンディションでショートボードに乗る選手にとっては不利な状態であった。
  猛烈なショアブレイクに何度も何度もおしもどされて、とにかく乗って走ったものが勝ち残るという
戦いとなった。
  そのような中で北九州フリートの山中忍、篠原誠らは、あたかも平水面を走るがごとく余裕のあるセ
イリングテクニックを見せ、アウトでの連続ジャンプ、インでのスピード感あふれるウエイブメイキン
グ、ダックジャイブ等、レベルの高いライディングであった。
長崎県対馬から参加した成清昭、鳥取県境港スカラップBSCの大田昭博らに代表される、ローカルの決
してひるむことのない猛者精神には、荻野プロも
「きっと、もっともっとうまくなるだろう」と称
賛の言葉をおしまれなかった。
  結果はラフなコンディションの中、みごとなセ
イリングテクニックをみせた北九州Fの山中忍が
1位、同じく北九州F松本美智雄が2位、3位が
スカラップBSCの大田昭博、北九州F篠原誠とな
った。
  大会終了後、会場近くの民宿で行われた交歓会
には、ほとんどの選手が参加し、荻野プロ、ジャ
ッジをかこんで腕相撲大会など様々なイベントが
思いつくままに催され、どの選手の顔もすがすが
しく、楽しそうであった。
 大会としてはあまりよいコンディションではなく
実力を発揮しきれず口惜しい思いをした選手もい
たと思うが、お互いの啓発のために充分に意義あ
る大会ではなかったかと思う。
  今後さらに実りある大会として続けて行きたい
と思う。

    
    
    
    
 (表彰式の様子。あずき色のトレーナーを着ている
のが私です。20代ですね。若かったですね。あのこ ろサーファーの服装は寝間着のようなスエットパンツ が主流でしたね。今ではホントに寝間着にしてますが。  水溜まりに注目です。いまは舗装され、植え込みが 出来、駐車場エリアになっているところです。  背景の左の方にいくとオーシャンビューの民宿Hashi Rakuenがあります。)

そして又数年して、ご多分に洩れずhamadaboardsailingclubもみんな転勤やなんやかやで解散。
これは私のデザインした浜田ボードセイリングクラブの
トレーナー。
波子の海に沈む夕日をデザインしたつもりだったのですが、
「ヤジロベエ?」とyoshikoさんに言われたのを覚えています。
    
    
    

History

PowerRideの頃

North Waveの頃

Gusty Kidsの頃