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扇原関門
(益田市多田町) |
平成30年度 秋の特別展で公開!
詳しくは年間展示予定表をご確認ください。
〜地図・解説パネルなどを展示〜
扇原関門
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浜田藩と津和野藩の境界で、石州口の戦いの火ぶたが切られた場所。
慶応2年(1866年)6月16日、進軍してきた長州軍が、扇原関門(浜田藩領)の開門を迫った。
藩境を守るのは、浜田藩士・岸静江国治と少数の士卒と農民兵のみ。長州軍は何度も開門を迫ったが、藩命を順守した岸は断固拒否した。
岸は部下全員を待避させ、槍を片手に街道の中央にて、「我命ある限り貴軍を阻止せん」と長州兵と対峙した。しかし、近代兵器で武装した長州軍の前になすすべなく、至近距離から発射された銃弾に胸腹を貫かれ、長槍を持ったまま絶命した。
藩命を遵守した岸の姿に感嘆した長州軍の村田蔵六(のちの大村益次郎)は、ちょうど通りかかった西禅寺の住僧に、岸を丁重に葬り、その上に碑を建てるよう依頼した。
この場所には杉などの大木があったことから、古来「大木原」と呼ばれていた。益田から長州に向かう街道の峠にあり、両藩にとって故郷のシンボルでもあった。
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