郷土の偉人
郷土の焼き物

七尾城・三宅御土居・
中須東原遺跡


若返りの間

石州口の戦い



焼き物

喜阿弥焼
 き  あ  み  やき

  安政元年(1854)頃に那賀郡神主村(現江津市二宮町神主)出身の吹金原繁蔵によって開かれた雑器窯。繁蔵は16才の時、萩の窯に弟子入りし修行した後、嘉永初期、一時、飯浦で開窯していた。
 安政中期、津和野藩の御用窯となり、唐津風(須佐、萩風)の雑器を焼いており、資金援助を受けていたという。後に国蔵−亀次−関治−繁太郎と継承され、飴釉を基調とした高取焼風の釉掛けが行われるようになり、荒っぽい点がローカルカラーとして尊重された。
 昭和初期、経営が不振に傾いたため、昭和7年(1932)頃、益田の右田紀元が関治とはかって梃子入れを行い、《雪舟焼》・《喜阿弥焼》の印を茶器類や花器等の小物に押すようになる。昭和20年(1945)、一貫して雑器を焼く窯としての使命を果たし廃窯。



白上焼
しら がみ やき

 
  肥前杵島郡の職人・野田荒吉が天保8年(1837)に長州萩に移り、安政3年(1856)白上皿山の陶土を探り萩で試焼きをしたところ、製作に自信を得たため、同5年(1858)白上に移住して製陶所を設けたのが始まりといわれる。
 明治5年(1872)、皿山の経営は本家・野田庄太郎と分家・福井元蔵に分かれたが、明治20年から24年にかけて両名が死去したため、庄太郎の子・惣太郎が後を継いだ。しかし事業の挽回は難しく、明治35年(1902)資金不足と販路縮小にたたられ、荒吉以来三代続いたこの事業も廃止となった。