湯主の軌跡6
天保の温泉出入り 経過譜
天保2年 1831
-
3.26. 大森御役所より新規温泉坪・分湯施行計画の下見に来湯。
温泉屋直左衛門(14代)には来湯目的を話さず、代官根本善右衛門御役所手代柏木慎兵衛、村惣持地に御上御下げ金による新規温泉坪・温泉分湯について年寄平一郎と御茶屋で密談を持つ。
年寄平一郎新規温泉坪設置図面作成し、請書を御役所へ提出。 - 4.12. 温泉屋直左衛門温泉分湯を断り御役所案に替え自費・自分持地へ新規温泉坪設置案を願い出るが、庄屋弥吉、年寄平一郎は直左衛門案の取次ぎを断る。
- 4.13. 直左衛門、直接柏木慎兵衛に掛け合うが公費設置の分湯案を主張するのみで自費・自分持地設置案を聞き入れず。
- 4.14. 直左衛門、代官根本善右衛門との直接面談の取次ぎを願い出るが、柏木がこの申し出を拒否。直左衛門不同意でも御役所案を強行すると言い直左衛門との面談を打ち切る。
- 4.22. 直左衛門江戸御奉行所愁訴を決意し出国。
- 5.27. 年寄平一郎、村持ち温泉、印形を致さざる者に不当な圧力をかけ始める。
- 6. 1. 年寄平一郎、大森御役所に直左衛門を訴え、温泉の村方差配を願い出る。
- 6.下旬 直左衛門江戸着。
- 7. 3. 大目付土方出雲守へ愁訴。(歴代湯役請取書控、宝永大地震温泉再建復興記録など九点提出)
- 7. 8. 大目付石谷備後守へ愁訴、御老中大久保加賀守より土方出雲守へ預けとなり、田中東右衛門が係りとなる。
- 8.14. 御老中大久保加賀守へ願書。
- 9.26. 村方、江戸勘定奉行所へ愁訴。
- 10. 7. 御老中より新規温泉坪・分湯の儀につき御下知。新規の儀不受理となる。
- 11.13. 直左衛門江戸出立。
- 11.22. 村方三人江戸より帰国。
- 12.28. 直左衛門、江戸より帰国、大森御役所へ帰国挨拶。
天保3年
- 1.28. 直左衛門、村方江戸御奉行所越訴の儀に付き吟味始まる。
- 1.29. 御役所和睦取詰を郷宿に指示。
- 2. 9. 和睦取詰破談。
-
2.12. 直左衛門、宿預けを解かれる。
小前温泉屋入寄せ温泉証書奪取騒動が起こる。 - 2.15. 国蔵家出。
- 2.23. 村方、直左衛門を訴える。
- 4. 1. 内済和融熟談。
- 4. 2. 小前騒動の砌入寄せ詫書。
- 4.16. 村方、直左衛門の吟味下げ願い出る。
- 7. 9. 小前騒動の砌入寄せ詫書御差替え。
- 8.15. 家出国蔵帰国。
嘉永3年(1850)11月
温泉屋幸一郎(15代)、天保温泉出入り一件にかかる温泉屋借財主法取片付治定書をもってこの事件の処理を終了とする。
1年半余りに及ぶ「天保の温泉津村温泉出入り一件」は、訴答並びに立入人一同が「温泉出入和融熟談書」に連印、取替をもって表向きは終結しました。しかしながら、温泉屋伊藤家は愁訴費用捻出のため、多くの人に多額の借財を行っており、「和融熟談書」を取り交わした後も、その借財処理に追われました。借財処理は14代直左衛門から15代幸一郎に引き継がれ、19年という長い月日をもって真の意味での完全終結に至りました。
無断での転載を禁止させて頂きます。
泉薬湯 温泉津温泉 元湯