温泉津旅情27 還暦後の新谷道太郎翁

明治維新後、維新蜂起の秘話(温泉津旅情26)の公開を始めたのは、道太郎翁89歳。翁の晩年を知りうるものに近郷近在へ慈善・教育などの社会事業への寄付、死後までに自葬三回という凡人離れの経歴が遺されている。その一部を紹介してみよう。

近在近郷に時報・警報用モーターサイレン各壱個寄付

(翁当時88歳)

いかにも物静かなどことなく気品のある、しかも話て見ると中々元気で青年も及ばぬような意気があった。けれども耳はもうたいそうつんぼであった。目も大分悪くなったというて居られた。「こんな風になって、耳が死に、眼が死に、身体の緒機関が次々に死んで行く、しかし、私は少しも悲しまぬ。誠に結構な境涯じゃと感謝している。死ぬということは、たとへば、衣服をかぶるようなものじゃ、死ぬるということが以前は大層嫌いであったが、今は考えが変ってきて、結構な法が設けてあるものじゃと、かえって賛美するようになった。もしこの世に、死ぬということがないならば、どこの家にも昔からの爺さんや婆さんや、身体の不自由な、役にも立たぬ老人ばかりが、沢山ふえて、その置き場もなくなるであろう。そんなことになれば、世帯を持たねばならぬ若い者は、大難儀をするに違いないが、それがうまい具合に、ころりころりと、次々に死んでゆくので、世の中がいつも新しく開けて面白いのである。それだから死ぬることなど私は、眠たい時に、眠るほどにも思うて居らぬ。葬式などは既に、自分で三度もやっている

第1回自葬 明治42年64歳(3月21日午前9時出棺、新谷道太郎の葬式執行仕り、正午粗斎差上候間、御心遣いなく御焼香なし下され度候)こんな通知状を親族、知人、部落一般に出したので、遠方の者は本当に死んだものと思い、事情を知る者は稀有の事と驚いた。当日までに棺は勿論、葬式緒道具一切を準備して仏壇を飾り、棺前には香華燈燭を供え、私は白装束に白のかみしも、白の頭巾を戴き、受付で悔やみを受け、定刻には自ら読経して焼香を終り、行列を正して墓地に行き、また読経をして自葬を終った。かくして一般会葬者には御斎を出したのである。これで貧乏や苦痛、不安の不用物を葬り去ったのであるが、入用は身体は百歳までも長命して、役に立つ間、世の中のために使いたい念願であった。そして丈余りの自然石に居士号を刻み墓碑としたとある

(藤昇)

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