湯主の軌跡2 温泉訴訟事件

初代伊藤重佐が毛利元就公に湯主を命じられ、2代目伊藤新左衛門信重が毛利輝元公から改めて「温泉役并地銭」を仰せつけられ、その後、湯税を怠ることなく納めてきたことは伊藤家文書の記録のみならず、「石見銀山諸役銀請納書」をはじめとする諸史料からも裏付けられています。また、伊藤家文書に記されている伊藤家家譜と現存する他家古文書、他史料を識者が照査し、伊藤家家譜に記されている代々の当主が温泉屋ゆやを経営し、湯役を納め、温泉主であったことは紛れもない事実だと確認されています。しかしながら、私財を投じて温泉開発、泉源泉質保護に努め、地域社会へ尽力し、それを証明する文書が存在するにも関わらず、近年まで泉源の所有権に関し、異を唱える者がいました。村持ち、個人持ちの新温泉開発、給湯分湯権など権利取得を画策する者たちと温泉屋ゆやとが争う温泉訴訟事件が、江戸末期から今日まで数回にわたり起こっています。

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