湯主の軌跡4
天保の温泉訴訟① ~江戸勘定奉行への愁訴~
天保2年(1831)3月。
代官根本善右衛門御役所手代柏木慎兵衛、庄屋弥吉、年寄平一郎らは大森御役所御下げ銀で「村経営の新温泉坪設立」を発案。その新温泉に分湯するよう温泉屋直左衛門が仰せつけられました。
村経営の御役所案に対し、温泉屋直左衛門は分湯を行えば湯量が不足すること、また、その結果自分持温泉営業が不能になること、新温泉坪設立予定の村持地までの長き距離では温泉の効能が薄くなること等を主張し分湯を断り、その代わり温泉持主として自分の土地に自費で湯量に見合った新規温泉坪を作る許可を願い出ましたが、手代柏木慎兵衛はこれを拒否。温泉屋直左衛門は代官根本善右衛門との直接面談の取り次ぎも願い出ましたが、これも拒否され、直左衛門が御役所案に同意しなくてもそれを強行すると言い渡されました。温泉屋直左衛門は先祖より代々受け継いできた温泉を守るために、江戸御奉行所への愁訴を決意し、同年4月22日、歴代湯役請取書控、宝永大地震温泉再建復興記録など温泉持主の証拠となる書類9点を持ち、江戸に出国しました。温泉屋直左衛門が出国した後、村では年寄平一郎らが村人に「村持ち温泉である」という印形を押すよう働きかけ、押さない者には不当な圧力をかけ始めました。そして、年寄平一郎はその印形を持ち、大森御役所へ温泉屋直左衛門を訴え、「温泉は村方のものである」と願い出ました。
一方、2か月かけて江戸に到着した温泉屋直左衛門は大目付土方出雲守、大目付石谷備後守、御老中大久保加賀守へ温泉持主証拠の書類を添えて愁訴。村方も温泉屋直左衛門の後を追い江戸勘定奉行へ愁訴。両者の嘆願を照査し同年10月7日、村方の新規温泉坪・分湯の儀は不当であり、新規温泉坪の設置は不許可、温泉の権利・所有は温泉屋直左衛門にあるとの御沙汰が下りました。
温泉屋直左衛門が江戸勘定奉行に提出した「温泉持主の証拠となる書類」の1つが「歴代湯主が御役所に納めてきた湯役銀(湯税)の請取書控」、今でいう「納税証明書」です。また、宝永4年(1707)の大地震の際、温泉が大被害を受け、温光寺薬師堂を再建するに当たり、資金が不足したため、当時の湯主温泉屋庄兵衛が大森代官所に拝借銀を申請。代官所は銀一貫目を貸付け、温泉屋庄兵衛は宝永5年から5ヶ年の年賦で返済。これらの記録と上納書も提出しています。歴代、税金を納めていたという事実、温泉のご本尊を祀る薬師堂再建にあたり、代官所が温泉屋に資金を貸付け、温泉屋が返済した、すなわち御役所も温泉が温泉屋の所有であることを認めていたという事実等が記載された温泉持証拠書類が温泉屋には存在しました。
一方、村方、年寄平一郎らが温泉屋直左衛門を訴えた訴状には、直左衛門の所業の悪さを羅列し、果てには「もともと村持の温泉であるにも関わらず、直左衛門が自分の屋敷外の温泉を自分の屋敷内に囲い込み不正を働いた」等、証拠もなにもなくただただ直左衛門の誹謗中傷が書かれているのみでした。
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