温泉津旅情10 泉薬湯温泉津温泉元湯
温泉由来記

伊藤家は屋号を温泉屋という。温泉屋と書いて「ゆや」と読む。伊藤家文書には中世室町時代に伊藤重佐という者が、温泉場を開発。温泉場は日増しに疾病の癒えた救済者が増え、多くの居住者が集まり温泉で暮らしを立てる者で村ができた。温泉場の開発は、この村の草創であると伝えている。 伊藤家に伝わる温泉由来記も、その一つである。

温泉由来記
夫温泉乃涌出也又矣  然当世之人知愈   病之霊場者鮮矣
昔年我先伊藤重佐   数得霊験而新開湯穴 建立仏像以済
諸人之疾苦者日益多矣 於是国主元康公   使重佐為湯主
世々蒙沢至中古    信重之世感国之重而 国恩而始献湯税
自是以来年々湯税無怠 以至今如左

解読 温泉由来記
それ温泉の涌出なり また 然るに当世の人 愈々いよいよ病の霊場を知るは鮮矣せんい
昔年せきねん 我が先 伊藤重佐 かずを得た霊験にて 新たに湯穴を開き 仏像を建立し
もつて諸人疾苦をすますは 日益しに多矣たい 是において 国主元康公 重佐を湯主となす使い
世々蒙沢 中古に至り 信重の世 国の重きを感じて 国恩に湯税を
献じ始め 是以来 年々湯税怠ることなく 以って左の如く今に至る
(国主元康公は国主元就公の誤りか、信重は2代目湯主伊藤新左衛門信重のこと)

温泉が湧出しているが病苦を取り除く霊泉と知る人はほとんどいない。
むかし、多くの霊験を積んだ先祖の伊藤重佐という修行者がここに新たに霊泉の盤を改め洞穴を開き、仏像を建立した。そして年を重ねるごとに、多くの人々が救済されるようになった。これを知った国主毛利元就公は重佐を湯主となした。長い年月、恩恵の施しは続き、信重の時、国乱れ国の重きを感じ、国恩に湯税を上納し始め、それ以来湯税上納を怠ることなく。今に至るまで湯税を怠ることなし。

(藤昇)

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