温泉津旅情15
効能と繁昌温泉番付表 明治22年(1889)
温泉津温泉 東前頭8枚目
個々の温泉の力(効能)を、相撲番付けの力士のように東西に分け、大関、関脇、小結、の三役をはじめ、前頭をずらりと並べているのが温泉番付表です。温泉番付表(温泉功能鑑)が出始めたのは江戸時代中期後半、安永~寛政(1772~1800)頃と云われます。江戸を中心に各地で発行されたと見られます。また、文化7年(1810)には、「旅行用心集」という旅行案内に温泉の紹介がなされ、注意書きの中に、「左に著す所の諸国の温泉は、ただ養生のために湯治する人は勿論、又もの参り、遊山ながらに旅立ち、其れも、よりよりによって湯治する人のために国わけにして見やすきように里数を加へ、功能の大略をあく。・・・・湯の効能不案内の場所へ、その土地の人によく聞き合って湯治すべし。病症によって合と不合とあることゆえ、ゆるやかにすべからず」とあります。温泉を国別(今で云う県所在地別)、温泉地までの距離数、温泉の効能を書き、温泉の効能の分からない所に行ったらその土地の人によく聞いて湯治なさい。病症によってはかえって悪くなりますからと注意をしています。旅行者にとって親切な案内書になっています。明治時代に入ると効能の温泉番付の外に、賑やかさを加えた繁昌を競うようになってきたようです。
温泉番付表には次のものがあります
- 諸国温泉功能鑑為御覧(印行年代不明、江戸からの里程をしるし、各温泉の適応を揚げている・・・西川義方)、
- 諸国温泉功能鑑(文化14、)、
- 大日本温泉一覧番付(明治12)、
- 大日本諸国温泉一覧(明治17、東京で出版、各温泉に適応した疾患を示している事は、温泉はそれぞれ一つの個性をもっているという今日の温泉学の学説にさきがけをなしている点から見て愉快である・・西川義方)、
- 大日本帝国温泉一覧表効能及び繁昌競(明治22)、
- 温諸国温泉鑑番付(明治23)、
- 諸国温泉一覧(明治25、阿部善吉著草津八勝より)
「明治22年8月、改正舎出版 東京下谷区下谷竹町19番地 正田治兵編纂 大日本帝国温泉一覧表 効能及繁昌競」
というのを見ると、東西各々200湯、計400湯の全国温泉番付表です。温泉津の温泉は東前頭8枚目に挙げられています。明治20年頃の当時の効能繁昌の温泉三役力士は、(東方)大関上野ノ草津、関脇伊豆熱海湯、小結下野ノ那須、(西方)大関上野ノ伊香保、関脇摂津有馬湯、小結上野ノ磯部。前頭は東一枚目が相模ノ蘆湯、以下196湯。西前頭は一枚目上野ノ沢渡、以下196湯を書き上げています。ちなみに、全国400湯の温泉の内、島根県の温泉は次の10湯が名を連ねています。
石見温泉津東前頭8枚目、 出雲玉造東前頭13枚目、 出雲牛尾西前頭37枚目、 石見天河内東前頭89枚目、 出雲三沢東前頭97枚目、 石見志学西前頭118枚目、 石見志学小屋原119枚目、 石見有福東前頭136枚目、 石見硫黄山東前頭140枚目、 石見下村145枚目、
温泉番付表、明治22年。いまから111年前の温泉番付であり、記載してある400湯に及ぶ温泉は現在の温泉と違い、当然みな自然湧出の天然温泉です。この中にあって、温泉津温泉の持つ全国屈指の温泉の効能が、温泉津の湯治場の繁栄をもたらしていることを伺い知ることが出来ます。
(藤昇)
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