温泉津旅情17
元禄時代(1688~1703)に出された
温泉津ノ湯(現在の泉薬湯 温泉津温泉元湯 )の入浴定
一、御入湯の衆中様、大小衣類紙入れによらずかろき物にても預かり物仕らず候、勿論うせ物存ぜず候間、紛失これなき様ニご用心遊ばされべく候事
一、火の本かたく仰せ付けられ候間、浴室にてはたばこも進み申さず候、提燈御持参候衆中、火のもと心付けられるべく候、
右の火にてもたばこ御用なされ候事、御無用すべき候事一、喧嘩口論一切停止に御座候、千万出来候は双方とりおさえ申し候間、兼ねて御咾遊ばされ口論これなき様に、遊ばされるべく候。御奉公人様方拠無く、子細これあり万一論争に及び候共、お断り申し上げ、湯屋の外へ御出遊ばされ候様にとの儀ニ候間、左様御心得遊ばされるべき事
一、いつかたの御衆中によらず、はだか身にて湯屋の外へ御出なされましく候、惣じて見苦しき次第にこれなき様御たしなみ下さるべき事
一、いつれの湯にても敷石の内、湯つぼの近所へ履きもの御はきなされましく候、つはき、つちすれなどのさま、くかましきもの御ちらしなされ間しく候事
附け腰板、たな板などの類損じ申さずようになされ下さられるべき事右の通り
御嗜 み遊ばされべく候事
月 日
右ハ元禄年中大森中野茂左衛門様御書届下され候定言之必要に届け候
享保十三年(1728)
これは、第十九代 大森代官 海上弥兵衛の時、御役所へ届け出たものです。
あえて、原文のまま紹介しました。この文言が湯屋に張り出されていた元禄時代といえば、みなさんよく御存じの四十七志の討ち入りがあった時代です。元禄14年(1703)12月14日深夜 大石内蔵助を頭に播州赤穂浪士四十七志の討ち入は、当時の元禄社会の人々に大きな問題を投げかけ、今日でもこの討ち入り事件を取り上げたテレビドラマ、映画、講談、歌謡曲などがあり、これらの背景に当時の江戸、地方の庶民の生活が描かれてでています。ご覧になった方も少なくないと思います。温泉津の湯の、この入浴の定めを通して温泉津の元禄時代の庶民の暮らし、役所との関わり、温泉津温泉の経営など、一端が伺われるとおもいますます。皆さんも元禄時代の温泉津温泉の入浴の情景、その背景を描いてみてください。元禄時代のひとびとの息吹、熱気が感じられませんか。如何でしょうか。
(藤昇)
(資料 伊藤家文書)
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