温泉津旅情25 角のある浅原才市座像
泉薬湯 温泉津温泉元湯の前に浅原才市翁の座像がある。小柄な才市は肩衣を着て、両手を合わせ合掌している。合わせた手には、お念珠が掛けられ、顔を見ると額に二本の角がある。鬼が仏さんを拝んでいる座像である。赤鬼青鬼に角が描かれていることは、昔話の民話を通して年配者は先刻承知済みであるが、最近時々「浅原才市には角があったのですか」という質問を受けることがある。「浅原才市は鬼ですか」ともとれる浅原才市との出会いがある。ところがこれを否定することも出来ない。才市は、自分の中には角があると、周囲の人にもそのように云っていたと謂う。浅原才市の角については次のような逸話が伝えられている。
才市70才の時、小浜の若林春暁画家に、肖像画の制作を依頼した。間もなく肖像画が出来上がり才市のもとに届けられたが、才市は自分は鬼だと思っていたので出来上がった画を見て、即刻「わしの頭に二本の角を描いちゃんさい」と春暁さんに頼んで、角のある才市の肖像画が誕生したといわれている。角の描かれた才市の肖像画は後日、安楽寺梅田謙敬和上の画讃「有角者機 合掌者法 法能攝機 柔軟三業 火車因滅 甘露心愜 未到終焉 華台迎接」が加わり、掛け軸となって現在、当町小浜、浄土真宗安楽寺妙好人浅原才市遺品館に展示されている。
泉薬湯元湯前の才市座像の台座の正面に詩文が紹介されている。才市50回法要記念、当町、上村浄土真宗願楽寺藤谷法叡師にお願いした画讃の釈文である。
角のあるのは私の心 合掌させるは仏さま 鬼が仏に抱かれて 心やわらぎ角も折れ
火の車の因 作っても みんな消されて其上に歓喜 心にみちみちる 嬉しはずかし今ここに 蓮の台 が待っている
「角のあるのは私の心 合掌させるは仏さま 鬼が仏に抱かれて・・・」とある。角が赤鬼青鬼のシンボルなら才市の角は才市という人間の精神の象徴である。才市は、鬼の心を持つ才市が仏の光に抱かれている、この有難さ嬉しさが「なむあみだぶつ なむあみだぶつ なむあみだぶつ」の唱文になり、才市の宗教詩となって才市の口から出てくる。浅原才市は浄土真宗で妙好人中の妙好人といわれる信仰家である。才市は64才頃より亡くなる83才までの約20年間に六千首以上作詩を遺している。才市の遺した詩の世界は、学問がなくても思索がなくても人生そのものについて真剣な反省を行った人々にのみ開かれる世界であると宗教哲学者鈴木大拙先生は述べておられる。
現代社会は科学の社会、技術の社会、物質の社会である。物とか金とか経済優先の社会である。人間らしいものは次第にその影を失ってヒューマニズムも上すべりのものだけしか認められていない。日本人が本来持っているもの、人間としてはこれを失ってはならぬというものが一歩一歩と後退していくように感じられるこのような時代に浅原才市の精神生活、精神文化に触れることは大変意義深いことと思われる。才市1850年当町小浜に生まれ1932年小浜に亡くなった。角のある浅原才市の精神文化に触れて見たくなるこうゆう人である。
関係資料に、鈴木大拙著「日本的霊性」「妙好人」「妙好人浅原才市集」。寺本慧達著「妙好人才市翁を語る」。佐藤平著「浅原才市年譜」楠恭著「妙好人才市の歌」「妙好人を語る」。水上勉著「才市」。浅原才市翁顕彰会著「浅原才市」、50回忌法要記念「妙好人石見の才市」等がある。
若林春暁 本名若林好人・明治29年11月6日生まれ、明治45年5月中学校を中退して画家を志、上阪し画家南春濤に師事、雅号を春暁と名乗る。大正2年・第4回浪華絵画展へ「遊鯉図」出品、受賞。「鯉と美人を得意とするも、花鳥山水のいずれにも秀で、氏の将来が属目されている」と、(島根県人史)才市の肖像画は春暁23歳の作、不幸にして病にかかり35歳で逝去した。泉薬湯温泉津温泉元湯薬師堂の祭壇には春暁の描いた白牡丹の花画がある。
(藤昇)
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