温泉津旅情6 名前を持つ四十の村の坂

温泉津村の地形は低い山と山が向かい合い寄り合い、谷と谷が谷をつくり、本谷は小谷を連れて海に入込んでいます。谷間は狭く、両側の山裾は垂直に近い程に削り取られ、切り立った崖になっています。

谷の中央に一本の道があり、一方は入江の湊に、一方は谷の上手から山の背に伸びています。山の背から山の背へ、谷から谷へ、谷から山の背へと。道は坂道。上り坂、下り坂で繋がっています。私達の先祖が歩いていた道はこんな道であり、これが温泉津村の生活でした。温泉津村を訪れた旅人の日記に
「賎の女が柴すり衣ぬきすててかりにも入るや里のいで湯に」とか
「此のさとの人は、野山のゆき帰りにも、心のままに浴ミす」とか
「うしろの山にのほる、凡三丁はかり。杖をつき岩角をとらへ、からしてのほりけれと、脚疾のややこころよさを歓ふけふは 天気快晴春色冷ろう、眺望いわんかたなし、東南西はたた山、北はびょうたる滄海数千里の外朝鮮国なるべし」と書いています。

朝夕、温泉に入るにも野山で仕事をするにも、景色を眺望するにも、坂道を上り下り、日に幾度となく坂道を歩いていたことがわかります。谷底の村は、坂の村です。先祖たちは、村の多くの坂道を、苦もなく生活の中に取り入れ、心豊かな暮らしをしていたと思われます。

作者、成作時期は不明ですが、「坂名付」と書かれた一枚の文書がありますので紹介します。

日和山の坂は荒神坂  西念寺の奥ハ化粧けわい
金剛院より西念寺越を二見坂  寺道より龍御前道を神楽坂
今利屋脇ハ雲井坂  法泉道より沖泊道は鏡坂
法泉庵より二タ町曽根道を時雨坂  龍沢寺奥より石切場ハ御影坂
森の上ハむぐら坂  風呂屋より才神道ハ風呂屋坂
天兀(こつ)坂ハ千歳坂  温泉屋でんごうハよわい
日祖下り口ハ岩戸坂(日神ニヨリ日ノ神ナレバ)  大休ハ松坂(松山ニヨリ)
駄もうせより松山へ出ルすぎ坂(杦山に対し)  人道ハ瓦坂
日祖月ノ子より雲山出ルハおぼろ坂(月ノ縁ニヨリ)  日祖よりタタラ越ハ黄金坂(コガネノ縁ニヨリ)
日祖より殿島道ハ姫坂(殿と云う縁ニヨリ)  唐絵谷ハ不言坂(モノイワズ谷ナレバ)
矢谷より才峠越ハヤガラ坂  日祖より二タ町越ハマコモ坂(アヤメ谷隣)
二タ町より龍沢寺へ上るハうずら坂  二タ町より法泉谷越ハすみれ
二タ町より一本松へ上ルハ常盤坂(松ニ常盤縁ニヨリ)  寺道奥ハ高野坂(弘法井戸ニヨル)
寺道より大首坂ハ花坂  藪谷ハ笹野坂
うばガ谷ハ子守坂(乳母ノ縁ニヨリ)  日村表谷坂ハかんむり坂(烏帽子岩ノところなれば)
沖泊恵比寿社下ルハ福神坂  沖泊本谷道ハ車坂
西念寺より櫛島道ハカモジ坂(櫛ニヨリ)  荒神脇ハ幸坂
樽島へ行道ハ酒井坂(謂有)  沖泊より一本松道ハ千鳥坂
後小路稲荷上ハ伏見坂(伏見稲荷)  西楽寺脇ハ龍華りゅうげ坂(謂有)
恵珖寺上ハ月見坂(七面山秋月八景ノ内也)  福光屋脇ハ駒ひき坂(昔ノ往還ナレバ)
〆四十坂

(藤昇)

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